富木島町の民話

業平塚

むかし、京都に都のあったころ、在原業平という有名な歌人がいました。当時、六人の歌の名人の一人に数えられ、「百人一首」にも次のような歌が入っています。
千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは
(神代の昔から聞いたことがありませんよ。龍田川の水を真赤に染めてしまうなんて。 今散った紅葉で真っ赤です。)
業平は、歌がうまいばかりでなく、貴族の出身で、すばらしく美男子でしたので、京都の女性たちのあこがれの的でした。
その業平が、都での生活がいやになり、東国へ旅に出ました。さあ、業平のいなくなった京の都は大さわぎです。
「業平さまが、みえなくなったわ。」
「業平さまは、東国へ行かれたそうよ。」
「まあ、わたしを置いて行くなんて・・・・・・・・・。」
なかでも、「あやめ」というお姫さまは、人いちばい業平をしたっていましたので、もう気も狂うほどです。
「業平さまのいない京都なんて・・・・・・・・。」
と、数人のお供をつれて、すぐに業平の後を追いかけました。
こちらは業平です。京都から伊勢まで来ると、船に乗って海を渡りました。知多の浜を深い入江にそって進みますと、やがて富田というところに着きました。
そこは、とても平和な里です。船を降りてしばらく行くと、よく枝をはった椎の木の下にさしかかりました。そばに、美しい清水のわき出る井戸もありましたので、船旅の疲れを休めようと腰をおろしました。
「こんな静かなところで、なにもかも忘れて、のんびりと暮らしたいものだ。」
水を飲みながら、業平は思わずつぶやきました。そして、都での生活をあれこれ思い出していました。
「都に残してきたあやめたちは、いまごろどうしているんだろう。」
もう、ここまで来れば、彼女たちが追いかけてくる心配はないと思うと、業平の胸に、ふと、彼女たちの思い出がよみがえってくるのでした。
そのまま,しばらくの間、時の過ぎるのも忘れていますと、船着場のあたりに船が着いたらしく、おおぜいの人が降りてくるようすでした。なかに、女の人の声もします。はっとしてよく見ますと、その中にあやめがいるではありませんか。
「いま見つかっては、ここまで逃げてきたかいがない。」
と思った業平は、とっさに、そばの椎の木に登り、身をかくしました。女性たちは、がやがやとしゃべりながら近づいてきました。
「船頭さんは、たしかに業平さまらしい、立派な旅人をここへ渡したといいましたね。」
「ええ、村人の話でも、一目で都の人とわかる、美しい男性を見かけたと申しておりました。」
「ああ、こんなにおしたいしているのに、業平さまは、どうしてお逃げになるのでしょう。もう、わたしは、力がぬけてしまいそうです。」
「いけませんわ、お姫さま。もうすぐ業平さまにお会いできますよ。それまで気持ちを強くお持ちあそばせ。」
あやめたちは、井戸のそばの椎の木の根もとに腰をおろしました。
「しばらくここで休みましょう。いま、水をくんできます。」
そういって、井戸に近づいて行った供の女性が、「あっ」と驚いたように声を上げました。
「どうかしましたか。」
「業平さまが、業平さまがいらっしゃいます。」
「ええっ、業平さまが・・・・・・・・。」
あやめは、とび上がるようにして井戸のそばにかけ寄り、井戸の中をのぞきこみました。すると、これまで、少しの間も忘れることのできなかった業平さまの美しいお顔が見えるではありませんか。
あやめは、夢かとばかり喜んで、うれしさのあまり、思わず、
「業平さまあ。」
と叫ぶと、そのまま井戸の中に飛び込んで、死んでしまいました。
椎の木の上で、このありさまを見ていた業平は、驚きと悲しみのあまり、しばらくの間、ものもいえないくらいでした。
自分をこんなにまでしたってくれた女性の死をあわれに思い、その霊をなぐさめるために、死ぬまでこの地にとどまる決心をしました。そんな業平に、村人たちは,大変やさしく、親切でした。
業平がこの地で死んでからも、村人たちは、業平のために供養塔を建て、「業平さま」と呼んで、大切にまつりました。女の人のおなかに赤ちゃんが宿ると、まず業平さまにお参りして、業平さまのように頭のよい美男子が生まれますようにと、お願いするようになりました。また、頭の痛いときには、わらなわを五輪塔の頭部にしばってお祈りすれば、やがて頭痛もおさまるのでした。