名和町の民話

名和町船津

大昔のことです。日本武尊は、大和朝廷の命を受けて、東国遠征の旅に出ました。
波静かな伊勢の海を渡って、知多の海岸に船を着けました。
「ちょうど良いところに松がある。ここに船をつないでおこう。」
日本武尊一行は、縄で船を松の木にしっかりとつなぎとめました。
「縄で船をつないだところだから、ここを『なわ』と名付けようではないか。」
「船をつないだ港は、『船津』としては・・・・・・」
こうして、「名和」と「船津」の地名が生まれました。
応神天皇の時代になって、この地に航海の安全を守る神様がまつられ、社が建てられました。その後、朱雀天皇の時代にさらに社殿も立派になり、「御供田」「土器田」「油田」「番匠田」の四種の社田もたまわりました。この社田は、今でも、「油田」「神田」などの地名となって、昔のなごりをとどめています。
船津神社は、大変ご利益のあるありがたい神様として、人々の信仰を集め、沖を行く船も船津神社の前を通るときは必ず帆を下ろして通りました。また、馬に乗った人も、馬を降りてお参りをしてから通ることになっていました。そうしなかった人には、神罰がてきめんにくだったということです。