大田町の民話

如意来さん

むかし、大里村に落武者の墓と伝えられる七つの塚がありました。村人は、「七つ塚」と呼んでいました。
永禄三年(一五六〇)、桶狭間の戦いで敗れた今川義元方のある武将が、大里村にかくれ住みました。ようやく落ちついてみると、国に残してきた妻や子のことがむしょうに気になってきました。
「織田勢は、落武者狩りに、名ある武将の国元まで手をまわしているとか。無事でいられるだろうか。」
武将は、近くにあった七つ塚の一つに願をかけました。
「異国の地で果てられたご無念、お察し申し上げます。わたくしも落武者の身、一切経を石に刻み、供養を申し上げますので、どうか妻や子をお守りください。そしていつかここへ呼び寄せてください。」
武将は、夜を日に継いで、一切経を石に刻みながら、供養をつづけました。
刻み終えた経石は、塚のそばに丁重に埋められました。そして、毎日、朝晩欠かさずにお参りをつづけました。
武将の願いが届いたのか、そのころ、妻子も国を逃がれ、大里村の方に向かって旅をつづけていました。そして、ある日、ついに感激の対面を果たすことができました。
「この塚がお前たちをここに導いてくれたのだ。」
「ありがたい五輪さんですね。」
名も知れず葬られた落武者の墓ですが、それ以来、この塚は、「意の如く来たる」という意味から「如意来大士」と呼ばれ、村人の深い信仰を受けることになりました。戦争中も、出征した父や夫や子が無事帰って来ますようにと祈りつづけられました。
七つあった塚も、今では、常蓮寺境内にあるこの如意来さんだけとなり、なんでも願いをかなえてくれるありがたい仏様として、お供えの花がたえたことがありません。