中央町の民話

水引き友さ

昔、大里村(東海市大田町)に水引友さと呼ばれる男がすんでおった。
水引きとは、池の水を出しては、下の田んぼへ送ったり、また、水を止めたりする役目をする者で、それは気の強い者でないととてもできない仕事だった。
その頃、あたりではいちばん大きな村であった大里村の田に入れる水は、大池からひいていた。大池は、今は、きれいに整備された公園になっているが、昔は、背よりも高いかややすすきにすっぽりおおわれた山あいの池だった。ことに夏など、池にいく畦道には、蝮がうようよいた。また、池の水は、年中青々として深い川の淵のように澄んでいて、かえってうす気味悪い所だった。池には、大蛇がすんでいるということでだれも泳ぐものはいなかった。
その大池で、水引きをしておったのが、この友さというわけだ。
池には、堤防に近い、一番深いところに「蛇柱」というものがあって、直径十センチ位の穴がたくさんあいた四角い大きな筒のようなものが建てられていた。その穴の栓を上から順に抜いて池にたまった水を出すしかけで、ことに田の水を抜いている時などに土砂ぶりでもあると、田んぼに水がたまってしまうので大変。すぐ池の水を抜いて川に流し、田に水が入らないようにしないといかん。そんな時、友さは勢いよく池に飛び込み、楽々と水を抜いてくるのだった。
草木も眠るという真夜中の一時や二時、大蛇がすむという気味の悪い、しかも、深い池にとびこんで、雨の中、ゴーゴーとすさまじい音をたてて水を吸いこんでいる蛇柱の穴へ栓を打ちこんで水を止める。あるいは水を抜くという仕事は、そうだれにでもできるというものではなかった。この友さであって初めてできる仕事であった。
野蛮といえば野蛮だが、この友さは、蛇でも蝮でも見つけ次第につかまえて、ウナギのように蒲焼きにして食ってしまう。
「蛇の蒲焼きで一番うまいのは、ヤマカガシだ。ヤマカガシを食ったら、アオダイショウなんか、まずくて食えんがや。道でアオダイショウでも出てうしゃがったら、いつでもけとばしてやるだがや。」
というのが友さの口癖だった。
そんな友さがある時、腹をおさえながら、眉をしかめて歩いてきた。
あまりに、いつもの友さと様子がちがうので心配になった源助じいさんが、
「友さ、どうかしたかや?」
と聞くと、
「今朝な、生きとるヒイルを五匹茶わんに泳がせ、そのまま水と一緒にグッーと飲んでしまったら、ヒイルのやつ、腹の中で、おれの血でも吸っていやがるのか、この辺が痛いような、かゆいような、へんてこでなあ。」
といって胃の辺りを押さえてみせるのだった。
源助じいさんが、
「ヒイルを五匹もや。」
と聞くと
「うん、ヒイルは初めて飲んだが、もう、こりごりじゃ。二時間もたつのに、まんだ生きとりやがる。この間、行きとるドジョウを三匹飲んでみたが、腹の中で少々暴れやがったが、二十分もたつと死んでしまったのか、何ともなかったのに。ヒイルは、生き強いなあ。ああ、かゆい、かゆい。」
といって腹をこすりながら、常蓮寺のほうへ歩いていった。
次の日、源助じいさんが後田の道を歩いていると、また、友さにであった。今度は、また、いつものようにピンピンしている。どうしたのかと思ってじいさんが聞くと、友さは、
「あれからなあ、酒屋へいってコップに二杯、キュウーと焼酎を飲んでやったら、ヒイルのやつ、よってしまいやがったか、痛くもかゆくもなく、静かに収まっていったよ。生きとるヒイルは飲んでいかんなあ。ひどいめにあうぞ。ワハハハハハハ。」
と大口を開けて笑っていた。
昔は、こんなおもしれえ男が一人や二人、村におったもんだよ。