東海市の文化財

万葉の歌碑

諏訪神社(すわじんじゃ)・万葉の歌碑(まんようのかひ):市指定名勝/高横須賀町北屋敷

諏訪神社の拝殿に向かって左、香良洲社(末社)の前に東面して建っています。高さ80cm、厚さ32cmの花崗岩でできています。表面には「年魚市潟(あゆちがた) 塩干家良思(しおひにけらし) 知多乃浦(ちたのうらに) 朝?舟毛(あさこぐふねも) 奥依所見(おきによるみゆ)」と万葉集巻7-1163の歌が原文で刻んであります。裏面には「文化十五歳春吉田定興建之并書」とあり、1818年に建てられたことがわかります。歌は「あゆち潟の潮も引いたらしい、知多の浦の朝を沖寄りに舟をこいでゆくのが見える」という意味で、今は臨海工業地帯に変貌してしまいましたが、当時は波静かな知多の浦の朝景色を見ながら、あゆち潟(名古屋南部を東へ大きく湾入していた海浜のことですが、現在は陸地となっています)の干潟を思いやった旅人の作とされています。もしかしたら、この旅人は当時この地方の特産物であった塩を都へ貢納するために上京する知多半島の住人だったかもしれません。ともあれ、1,000年以上前のこの地域の海岸線の眺望を思い起こさせる作品です。この碑を建てた吉田定興は近くに住んでいた陰陽師で、文化15年は彼の還暦の年です。
昭和57年正月、土地の初老のかたたちによって、インド産の黒石に原文と書き下ろし文を刻んだ高さ150cmの大きな碑が、かたわらに建てられています。

聚楽園大仏及び境内地

聚楽園大仏及び境内地(しゅうらくえんだいぶつおよびけいだいち):市指定名勝/荒尾町西丸山

像高18.79mの鉄筋コンクリート製です。鎌倉大仏(阿弥陀如来)を模して造られたこの大仏は昭和2年(1927年)5月21日に昭和天皇のご成婚を記念して、開眼供養が行われました。発願主は名古屋の実業家である山田才吉(やまださいきち)で、守口着けを考案した人でもあります。名古屋鉄道常滑線聚楽園駅東の高台に鎮座(ちんざ)する大仏は東海市のシンボル的な存在として人目を引いています。昭和59年(1984年)に仏体に銅粉を吹き付けるなど大がかりな補強修理が行われ、翌年に大仏寺のご本尊として修復落慶開眼供養(しゅうふくらっけいかいがんくよう)が行われました。
それぞれの大きさは、台座(高さ)2.58m、台座(直径)23.63m、百毫(びゃくごう・直径)0.33m、まゆ毛(長さ)2m、目(長さ)1.39m、鼻(長さ)1.67m、口(長さ)1.3m、耳(長さ)3.48m、胴(手首から首まで)6.06m、親指(直径)0.52m、ひざ(幅)17.88mです。
また、螺髪(大仏の頭の髪型(つぶつぶ)のこと)は830個あり、直径0.44m、高さ0.35mです。

 

聚楽園大仏パンフレット(PDF形式 2437KB) <2003年3月発行、2017年1月改訂>

*本データは、パンフレットをスキャン化したものです。一部画像等、不鮮明の場合があります。

*パンフレットは、社会教育課窓口で配布しています。


つぶらしい

つぶらしい:市指定/大田町天神下ノ上

観福寺の本堂南にあり、相当な老木と見られます。根元近くから三つの幹に別れていましたが、南側の幹は伊勢湾台風で倒れ、今は二つの幹となっています。それでも、根回りは6メートルほどもあります。二つの幹はそれぞれ1メートルほどのところから数本の大きな枝に別れて伸びています。二つに分かれた幹の間に、台座を含めた高さで70cmほどの大日如来の石像がまつられていて、これは大正時代からのものといわれています。枝張り東西12mほど、南北14mほどです。

大樟

大クスノキ:市指定/大田町上浜田

大宮神社の境内にあり、幹回り10mほど、枝張り東西21.8mほど、南北23.7mほどで、高さは12mほどです。樹齢は1,000年といわれていて、幹に大きな空洞があり、洞の中にほこらがあって、「楠王大竜神」がまつられています。このクスノキは、大宮神社の創建よりはるかに古いといわれ、大昔はこのあたりは小さな島で、嵐にあってここに流れついた人が、小さなクスノキにすがりついて助かりました。この人こそクスノキのほこらにまつられている「楠王大竜神」であり、このときの小さなクスノキが、今の大クスノキであるという言い伝えがあります。クスノキは昭和45年に東海市の木に選ばれています。

大樟

大クスノキ:市指定/荒尾町仏供田

観音寺の観音堂正面にあり、幹回り9.6mほど、枝張り東西29.5mほど、南北31mほどで、高さは23mほどです。樹齢は700年以上といわれています。その根元には、「白竜照玉大明神」がまつられており、毎年3月31日には竜神祭が催されます。クスノキは昭和45年に東海市の木に選ばれています。