副市長&部長メッセージ
平成23年度以前の副市長&部長メッセージはこちらです

平成28年7月1日
消防長 平林 宏伸

 

2011年3月11日の東日本大震災、昨年9月の東日本豪雨災害、記憶にも新しい本年4月の熊本地震の被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げますとともに、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
台風や豪雨、火山噴火といった大きな災害が近年頻発していますが、このような災害発生時において、市の職員だけでは復旧に向けた目と手が全域に行き届いていないことが課題となっています。
このような場合の大変強力な助っ人をご存じでしょうか?みなさんがお住まいの地域で活動しているヒーロー「消防団」の存在です。前述の災害においても、海外から"奇跡"と称賛された復旧には消防団員の協力があってのものです。
幸い、東海市は大きな災害に見舞われることなく現在に至っていますが、本市でも1本部、女性分団を含む9分団、198人の消防団員が活躍しています。

普段は各々の仕事をしながら、夜間・休日には、消防団員として訓練や啓発活動を、火災時には消火活動や交通誘導等に従事していただいています。

今回は、消防団の主な活動の一つ、「消防操法」についてご紹介します。消防操法は、基本的な操作の習得を目指すための手順であり、消防団員の消防技術の向上と士気の高揚を図り、消防活動の進歩充実に寄与することを目的としています。同時に旺盛な奉仕の精神、強固な組織力を養い、消防団の充実強化にとっても重要なものとなっています。操法は、小型可搬ポンプを使用するものと、消防ポンプ自動車を使用する操法があり、本市では後者の消防ポンプ車操法を採用し、毎年5月下旬の日曜日に大池公園にて市の消防操法大会を開催しております。

操法の要領は、設置された防火水槽から、水を吸い上げ、火災現場を想定した火点と呼ばれる的をめがけて放水し、撤収するまでの一連の操作を実施するものです。

車両から防火水槽までの位置や、指揮者をはじめ、隊員それぞれに台詞と動きがあらかじめ決められており、操作の速さと正確性、動きの綺麗さを競うものです。

市内の8つの分団が4月の初旬から大会当日までの2カ月間、仕事終わりの夜間に大田小学校のグラウンドで毎晩訓練を実施しています。新年度になり、新社会人となった若手の団員が、先輩団員にホースの担ぎ方や放水の仕方を教えてもらうところから始まり、訓練を繰り返すうちに徐々に団員同志の仲も深まり、良い人間関係の構築にもつながっていくのも操法の魅力の一つです。

市操法大会の様子



市操法大会の様子








はじめは真っ直ぐ延長することができなかったホースも大会直前にはピシッと真っ直ぐ伸びるようになり、水圧に負けてフラフラしていた放水隊員もドンと構え、一発で火点の的を射てしっかりと放水できるようになっていきます。

操法は行動も台詞も決まっていますが、分団それぞれに特色があり、ドアの開閉や、消防車への乗車下車等の細部については、各分団の伝統により少しずつ違っていて、その変化を見るという楽しみもあります。

市の操法大会では、操作の開始から火点の的を倒すまで時間に基準を設けていますが、どの分団も基準を切るか切らないかのタイムで火点の的を倒します。毎年接戦の様相を呈していますが、操法はタイムだけで順位が決まるわけではありません。各隊員の声量、動きに節度・メリハリがあるかどうか、決められた動きや放水圧を守らずに動いていないか、また、器具を愛護的に使用しているか等といった細かい審査項目をもとに減点方式で採点をして順位を決めます。そして、優勝した分団には愛知県消防操法に出場していただきます。今年は5月22日に市消防操法大会を開催し、接戦の末、加木屋地区の第8分団が優勝しました。

第8分団は息つく間もなく、すでに7月30日に尾張旭市で開催される県大会に向けた訓練に入っています。市の大会までは各分団の先輩方の指導により訓練を実施してきましたが、県大会に向けては消防職員が指導し、市の大会時より休みも少なく、毎晩訓練に臨みます。これからの梅雨の蒸し暑い時期も、初夏のかんかん照りの日中にも、時には土砂降りの大雨の中でも訓練をします。4月からの訓練続きで体力も限界の中、県大会優勝を合言葉に奮闘しています。

県操法大会の様子




県操法大会の様子







東海市は、平成15年の県大会で優勝を収めました。その後、21年に6位入賞を果たしましたが、以降は若干伸び悩んでいます。操法は4年に1度、全国大会も開催され、今年は長野県で予定されています。

県大会優勝に向けて、大会に出場する第8分団の選手とサポートをする先輩団員、そして他の分団の応援、指導をする消防職員と全員がタッグを組み、東海市が一丸となって取り組んでいますので、市民のみなさまの熱い応援をお願いいたします。 

2016年7月1日

平成28年7月1日
会計管理者 久野 秀一


「東海ワイン」をご存じでしょうか?
東海市産のぶどう100%から出来たワインで、1988年に巨峰を原料として誕生した白ワインが東海ワインの始まりです。

その後、ロゼ、赤も加わり、また、ぶどうの品種も巨峰やデラウエアの生食用の品種だけでなく、メルロー、リースリングといったワイン専用の品種も東海ワインの原料として加わりました。

そもそもの始まりは、信州大学の故玉井袈裟男先生が東海市農業委員会の講演会に講師として東海市に来られ、地元の巨峰でワインを造ることを提案されたのがきっかけでした。
東海ワイン1988



 

1988年最初の東海ワインのラベル

(東海市の画家 松谷慶子氏のデザイン)

 

 

その後2000年まで毎年ラベルを更新していました









玉井先生といつもペアを組んでいた現マスターソムリエの高野豊氏の指導により「東海ワイン」は毎年進化をし、甘口から辛口、樽熟成の赤ワインなどさまざまなワインを産み出しました。

 

また、ワインラベルも地元東海市の画家松谷慶子氏や名古屋市在住の日本画家松木秋佳氏がデザインし、ワインとともにラベルも楽しめるようになっています。
東海ワイン1989



玉井先生が発した一言「ロゼワインが入ったワイングラスに伊勢湾に沈む夕陽を浮かべて乾杯」を描いた最初のロゼワイン(1989年)のラベル

(日本画家 松木秋佳氏のデザイン)









現在、東海市内のぶどう畑で巨峰、デラウエア、メルロー、リースリングを2軒の農家で栽培し年間2,000本~3,000本の東海ワインが出来上がっています。ぶどうの手入れは市内外の約40人のサポーターが集い、「おいしいワインを飲む」ため作業に汗を流しています。私もその一人としてぶどうづくりに汗を流しています。

 

多くの人の手で育てられたぶどうは、長野県塩尻市の株式会社井筒ワインに運ばれ、ワインになって東海市の酒販売店から一般の人の手に渡ります。

毎年10月には、できたての新酒をぶどう作りに携わった人たち皆で味わいます。自分たちが手塩にかけて育てたぶどうからできたワインは格別においしく感じるものです。

東海市に醸造所があればとの声もありますが、ワインの製造免許の取得には年間6,000リットルの生産が必要、ワイン特区であっても2,000リットルの生産が必要です。それに加え設備投資の資金も必要となります。そんなこともあって醸造技術の優れた県外のワイナリーでの醸造となっています。
東海ワイン2015



2015年産の東海ワイン

左から

白(巨峰+リースリング)

ロゼ(巨峰)

赤(巨峰+メルロー)










さて、愛知県では、2016伊勢志摩サミットの拡大会合に参加される国等(アウトリーチ国等)を歓迎・おもてなしするため、名古屋観光ホテルにおいて「愛知・名古屋歓迎レセプション」を開催しました。地元愛知県の食材や飲み物を使っておもてなしをした中で、東海ワインも提供されました。

 

東海ワインは、地域の人の協力や根強い愛好家のおかげで隠れた東海市の特産品として28年間生産が続いています。

2016年7月1日

平成28年6月1日
副教育長 小沢 文雄
 

「ストレートですか、それともレッド・アイにしますか?」
市関係者等の懇親会で、乾杯の前にそんな会話が各テーブルで囁かれることも日常の風景になりました。
本市では、平成26年9月に「東海市トマトで健康づくり条例」を定め、カゴメ株式会社発祥の地である歴史的背景を生かし、市民の健康づくりに対する意識の向上と
健康の増進に寄与することを目的として取組を進めています。

具体的には毎月10日をトマトの日と定め、学校給食でのトマトを使用した料理の提供やトマトジュースでの乾杯など、日々の生活の中で接する機会も多くなっていることと思います。

そのようなトマトですが、私は小学5年生まで苦手な食物でした。しかし、今私の家の冷蔵庫には必ずトマトが入っています。

 

私の通った小学校は長野県にある市立の学校でしたが、当時では珍しい体験活動を重視した教育方針を持ち、現在もその特徴が継承されている学校です。

小学5年生の時でした。学級に割り振られた畑に何をつくるかという話になった際、市の農産物の統計を調べたところ「加工用トマト」という聞き慣れない作物に注目が集まり、個人毎に苗を植え育てることになりました。当時カゴメの工場が市内にあり、その関係で加工用トマトの栽培が行われていたのだと思います。

科書には加工用トマトの栽培の仕方は載っていませんから、自分たちで図書館で調べたり、地元の農家の人に聞いたりして、病気や雨に弱いトマトを育てるのに必要な消毒の仕方や水のやり方等一つ一つ学んで実行していきました。

日々苗が成長し、へたの部分まで真っ赤になった実をつけた頃には、トマトは自分の分身のような大事なものに変わっていました。

せっかくの加工用トマトですので、半分程度をカゴメの工場に出荷してジュースにしてもらおうという声が挙がり、学級で収穫したトマトをリヤカーに乗せて工場に運びました。カゴメの工場の方に出来の良さを随分褒めていただき、工場見学の後、自分達で栽培したトマトで100本を超えるトマトジュースができ、それを手に取った達成感を今も覚えています。それ以来トマトは自分にとって特別なものとなりました。トマト好きになってから、半世紀近くの時が過ぎましたが、その時の先生やクラスの仲間と取り組んだ日々の体験は自分の中に残っています。

 

本市では中学生の沖縄体験活動や国内外の姉妹都市交流を始め、体験を重視した教育を積極的に進めています。学びの実践を重視した、郷土の偉人である細井平洲先生の教えにも通じるものと思います。

私はトマトづくり体験をしましたが、その栽培を行う農家になったわけではありません。しかし、そのプロセスの中で自らの頭で考え課題を持ち行動すること、仲間と協力していく経験から学んだことは、今の自分にしっかり根付いている実感があります。子どもの成長という教育目標から見ても、体験活動は様々な学びを同時に効率的かつ効果的に行うことができる手段と思います。一方で手段が目的化しないよう、体験活動の目的や趣旨を関係者がしっかり理解共有していかなければならないと思っています。

本市のトマトを通じた取組から、懐かしい故郷の思い出がよみがえるとともに、本市との不思議な縁を感じました。

2016年6月1日