副市長&部長メッセージ

平成30年10月1日

企画部次長兼秘書課長 小島 久和

4月1日付け人事異動により企画部次長に就任した小島でございます。よろしくお願いいたします。
さて、本市を取り巻く環境は、今後、2020年の東京オリンピックの開催や2026年のアジア大会の開催、2027年にはリニア中央新幹線の東京―名古屋間の開通などにより大きく変わることが予想され、訪日外国人観光客の増加が見込まれています。そのため、多文化共生社会の実現に向けて、市としましても、様々な施策を行っています。
平成30年10月14日(日)には、外国人とのふれあいの場や交流の場を創出し、市民の国際理解の促進を図るとともに、外国人に東海市及び日本の魅力を発信することを目的として、太田川駅西側大屋根広場にて国際交流フェスタ「はーと&はーと2018」を開催いたします。
外国の音楽や伝統舞踊、日本の伝統芸能の披露などのステージイベントや、外国の飲食物の試飲試食や海外の文化を体験することができるブース、海外の食べ物を販売するキッチンカーなどがあり、東海市に在住している多くの外国の方々もスタッフとしてお手伝いいただいているので、身近に海外を体験できる良い機会ではないでしょうか。
また、今年度より、会場を太田川駅東側どんでん広場から西側大屋根広場へと変え、東海市観光協会及びまちづくり東海の協賛事業として、出張嚶鳴庵の抹茶体験や、東海市の特産品の販売なども行います。
この機会にぜひ皆様のご参加をお待ちしております。

【昨年の様子】

様子 様子

そして、本市は2019年に市制施行50周年を迎えます。本市の更なる飛躍を図る契機として位置づけ、本市の発展に尽くしてこられた先人の偉業を讃えるとともに、これらを次の世代に伝え、そして、次の50年に向けた新たなまちづくりの第一歩を踏み出すため、企業との連携によるオリジナルカートの製作など様々な記念事業を検討しています。また、2019年5月18日(土)、19日(日)には市政の発展に貢献された方々の顕彰と表彰を行うとともに、50周年をお祝いするアトラクションを実施する記念式典と関連イベントを東海市芸術劇場及び太田川駅前イベント広場で予定しております。
半世紀を迎えた本市を皆様とともにお祝いしたいと考えておりますので、何卒よろしくお願いいたします。

2018年10月1日

平成30年10月1日

総務部次長 荒谷幸司

総務部次長の荒谷です。今回は、私が趣味でやっている「ビーチボールバレー」について紹介させていただきます。
「ビーチボールバレーをやっている」と言うと、大抵の人は「そんなハードなスポーツやってるの?」と聞かれますが、それは砂浜でやる「ビーチバレーボール」と間違えています。ビーチボールバレーは、柔らかいビーチボールを使い、屋内でバドミントンのダブルスコートを使用して、4人一組で行うバレーボールです。

私が初めてビーチボールバレーと出会ったのは、20年くらい前の体育課(現在のスポーツ課)時代に、スポーツ推進委員会で新しいレクリエーションスポーツを市内に広めようとしている頃でした。ボールが軽くて柔らかいため、当たってもそれほど痛くないし(ただし、ヘソが当たるとかなり痛い)、強い回転をかけると驚くような変化をします。スパイクやブロックなど普通のバレーボールと同じようにプレーしますが、テクニックを磨けば、私のようなバレーボール経験のない50代のおじさんでも20代、30代の若者相手に、そこそこのゲームができるようになります。無理をしなければ、60代になっても続けられる楽しいスポーツです。

バレー

 

身体を動かす機会が少なくなると、すぐになまってしまうので、できる限り動かし続けたいと思ってはいますが、ハードなスポーツだとスタミナが続かないこともあり、ちょうど手頃な疲労感が味わえるという意味では、自分に合ったスポーツだと思っています。
ジョギングやウォーキングのように、一人でもできるスポーツもいいですが、仲間と和気あいあいで長く続けられるスポーツを今のうちから見つけることも、これからの長い人生には、あってもいいのではないでしょうか。皆さんも自分に合った、生涯続けられるスポーツにチャレンジを始めてみませんか。

  

2018年10月1日

平成30年10月1日

中心街整備事務所長 大岩 隆

9月4日に台風21号が徳島県南部に上陸し、近畿地方に甚大な被害を及ぼして去っていきました。台風の目から離れていた東海市も強風により広い範囲で被害を受けました。
市役所の職員は午後零時から第三非常配備体制をとって災害に備えていました。
私も災害対策本部に詰めておりましたが、今回の台風では、雨による浸水被害はほとんどなく、強風による倒木や家屋の損傷が多く報告されました。また、強風による送電線の破損等により、多くの家屋が停電になりました。
市内では4日の2時半ぐらいから停電が発生し、約11,100戸が停電したそうです。
市役所も午後2時43分に停電しましたが、非常用発電機のおかげで、業務を継続することができました。復旧は比較的早く、午後5時43分でしたが、市役所の窓から見える範囲は、停電が続いていました。
災害対策本部への市民からの通報内容は、風雨の強い間は、倒木、広告看板の転倒、家屋の損傷などがほとんどでしたが、周りが暗くなりかけたころからは、停電の問い合わせが殺到しました。その頃は県内各所、広い範囲で停電が発生しており、中部電力も復旧作業に追われ、電話が通じない状況が続いていたので、市役所へすがる思いで電話をしてこられたのだと思われます。が、如何ともし難い状況でした。
さて、自分自身は午後9時に災害対応を終え、車で自宅、南知多町までの帰途についたのですが、途中、信号の停電は比較的少なく、道路照明もほとんどの部分で点灯していたので、安心して車を進めていました。
しかし、我が家へ近づくにつれ漆黒の闇へと変っていきました。
午後10時半頃自宅に着いたのですが、出迎えてくれたのは、家族とロウソクの灯でした。停電の不安から、また、ロウソクをつけっぱなしにして寝ることの不用心さから起きていたとのことでした。
幸い、ガスコンロで湯は沸かせたので、カップ麺で腹ごしらえをし、前日からの残り湯で体を洗い、床に就きました。翌朝、日の出と共に起床しましたが、まだ、停電したままでした。
結局通電されたのは、私が出勤した後、5日の8時過ぎになったそうで、約18時間の停電でした。
これだけ長時間の停電は記憶にある限り(生まれた年に伊勢湾台風で被災)、経験がなかったので、電気のないことの不便さと普段の備えの大切さについて感じたことを記述します。
1 光源の確保
たまたま、我が家には仏壇があるのでロウソクとマッチが常備してあり、ロウソクの灯は確保できましたが、光量不足は否めません。懐中電灯も2本はあったのですが、一本は光が弱く頼りにならない状態でした。
これは、懐中電灯で使う単一乾電池を買い置きしてなかったという災害への備えができてなかった結果で大きな反省点です。使用頻度は少なくても全種類、乾電池は常備すべきものと再認識しました。ロウソクとマッチと同様に。
2 情報の収集
停電のためテレビが見えないのは当たり前ですが、周辺の携帯電話の基地局も停電し、インターネットでの情報収集ができなくなりました。翌日の天気や公共交通機関の状況も把握できず、不安な一夜を過ごしました。
5日の朝は晴天だったので夜明けと共に起床しましたが、電気は復旧しておらず、唯一の情報源は、乾電池式のラジオのみでした。しかし、台風が通り過ぎ、県内の警報が解除された後はローカルな話題の放送が少なく、公共交通機関や道路の情報もつかめず、大変戸惑いました。
改めてインターネットからの情報に依存していることを痛感しました。30年前なら何も思わなかったでしょうね。
3 食事
コンロの点火には乾電池を使っているので、食料品の煮炊きはできますが、闇夜にロウソクや懐中電灯での調理は難しく、冷蔵庫には冷凍食品があるものの、これも電子レンジ調理を前提としているので手が出せず、結局、湯を沸かしてカップ麺や非常食(アルファ米)でしのぎました。停電中は2度食事をしただけなので、買い置きしていたもので対応できましたが、簡単に食べられる食料の備蓄の必要性も実感しました。
4 入浴
我が家の給湯器の制御は電気(買電)のため風呂を沸かすことはできず、前日の残り湯で体を洗うことになりました。気温の高い時期だったので、水道水でも対応できましたが、これが冬場だったらと思うとぞっとしました。停電を考えるとガスコンロのように乾電池で制御する給湯器を自宅のどこかに備えることも危機管理になるのではないでしょうか。

これらが、今回の経験で特に感じたことですが、その他改めて感心したことがあります。それは、冷蔵庫の保冷能力の高さです。
我が家では、停電から復旧まで約18時間かかりましたが、冷凍室の氷はうっすらと溶け始めたぐらいで、冷蔵室の牛乳も冷たさを感じる状態で保たれていました。食品の廃棄も頭をよぎっていたので、改めて現在の冷蔵庫の性能に驚きました。

以上、長時間の停電で感じたことを書き留めましたが、いかに我々の生活が電気に依存しており、電気がなければ何もできないということを再認識させられた台風21号の通過でした。

2018年10月1日