平洲塾189 「おことば集」を書くにあたって

平洲先生のことば(1) ~言われたかも知れないことを含めて~

 細井平洲先生の「おことば集」を書かせていただきます。といっても先生には必ずしも、そういうタイトルでまとめた物があるわけではありません。

 結局先生は、"存在"そのものが"師"だったので、慕〈した〉う人間にとっては、先生の朝から晩までのしぐさや、洩〈も〉らされることばのひとつひとつが、いわゆる"平洲語録"になったのだと思います。

 いってみれば、慕う者にとっては、その場に居合わせた時点(アップ・トゥ・デイト)で耳にし、目にしたことは、すべてその場で自身の心の中に溶けてしまう(消化されてしまう)のです。

 ぼくはどうしてもわからないナゾを平洲先生に持っています。先生の教育は、

 「いわゆる知識階級(武士)より、農庶民を重視した」

 とよくいわれます。

 そして話をきいた相手は数千人から数万人に及び、等しく、

 「涙を流して感動した」

 と伝えられています。

 「話の内容がやさしくわかりやすいから」

 というのがひとつの理由とされています。

 これは推測ですが、先生はおそらく題材として、いまでいう、

 「マスコミでの社会面の記事」

 を扱われたのではないでしょうか。しかも孔子〈こうし〉よりも孟子〈もうし〉の"忍びざるのこころ"を大切にする先生は、話の力点を"日本人の美しいこころ(やさしさ・ぬくもり・共有のこころ)"などにおかれます。

 結果、事件の一部に"美談"的要素を発見し、それに共感性や感動性を加味されて話されたのだ、と思います。それが聞く人々の胸にひびき、

 「いまの社会は悪だけではない、善も存在するのだ」

 と感じさせ、その場でのいわば"現場消化"が多かったのではないか、と思います。

 ぼくがナゾに思っているのは、

 「それほどの感動性の遺品(話の記録)」がほとんど残っていないことです。

 それをいまは、

 「きいていた人びとの心に消化され、記録など残らなかった(残る時間などなかった)」

 と考えています。

 ぼくも平洲先生の"孟子的善性"を信ずる信者のひとりですから、"人間の性は善だ"と思っています。

 さて、そういう考えに立つと、先生の"おことば集"は、その場(当時の民衆と共に生きていた先生と民衆との出会いの場)に実際に居合わせなければ、再現は不可能ということになります。

 それをやろう(実際には「やれ」という童門イジメの企画者-ひとりでなく〈複数〉-)がいるのです。

 ぼくは"乗る"ことにしました。ぼく自身の勉強にもなるからです。ナゾの解き方に別な面が発見できるかも知れません。

 それにぼくもまもなく満95歳になります。この仕事をひじょうに大切に思っています。それはこの仕事によって、平洲先生が、

 「農庶民に期待したものは何だったのか」

 ということの片鱗をつかめるかも知れないからです。東海市や嚶鳴<おうめい>協議会などのおかげで、この世における持ち時間スレスレの時期に、こういう機会を与えていただいて心から感謝いたします。

 でははじめさせていただきます。以上のような状況ですから、ご紹介する内容にかなり"歴史のif(イフ。かも知れない)"が混じることをあらかじめおことわりしておきます。                             

(つづく)