めでたい時には万歳
東海市には、江戸時代から伝わる万歳(まんざい)が現在も伝承されており、尾張(おわり)万歳と三河(みかわ)万歳、2つの流れをくんでいるといわれています。
尾張万歳は、長母寺(ちょうぼじ)(現名古屋市東区)が発祥の地であり、当時、長母寺領であったこの地域へも伝わったものとされています。
尾張万歳は門付け(かどづけ)といい、鼓を叩き、祝いのことばを唱えながら、家々を回り、おひねりをもらう万歳です。
農業の行えない冬場の貴重な稼ぎとして、農民の間に普及・定着していきました。
三河万歳は、尾張藩2代藩主徳川光友(とくがわみつとも)公が、現在の東海市高横須賀町(たかよこすかまち)の地に横須賀御殿(よこすかごてん)と呼ばれた別荘地を建てた際、現在の安城市(あんじょうし)に住んでいた陰陽師(おんみょうじ)が御殿の近くへ移り住み、伝わったものとされています。当時は陰陽師たちが万歳を行っていたそうです。
三河が江戸幕府を開いた徳川家康(とくがわいえやす)公の出身地であったため、三河万歳は幕府などの保護を受け、大名屋敷にも招かれるなど発展をしていきました。
由来の異なる2つの万歳がこの地へ伝わり、形を変えながら現在の形となり、正月やめでたい時に万歳が披露されています。
現在の東海市には御殿万歳(ごてんまんざい)、門付万歳(かどづけまんざい)、三曲万歳(さんきょくまんざい)の3つの万歳が伝わっています。
御殿万歳(ごてんまんざい)(東海市指定無形民俗文化財)
「陰陽(いんよう)。鶴は千年、亀は万年・・・」のことばから始まる、太夫(たゆう)と6人の才蔵(さいぞう)で行う万歳です。家を建てる際、柱に神様を迎え、完成すると家に七福神(しちふくじん)が舞い込むというめでたい様子を演じるものです。正月はこの万歳の鼓(つづみ)の音で家の門を開き、めでたく初春を迎えた大名家も多かったといわれています。
門付万歳(かどづけまんざい)
正月に太夫と才蔵が、かけ合いをしながら祝いことばを唱えて家々を回る万歳です。尾張万歳の起源で、農業の行えない冬場の貴重な稼ぎとして農民の間に定着しました。昭和初期には現在のJR大府駅から特別に万歳列車(まんざいれっしゃ)が仕立てられ、多い時には1,000人もの万歳師(まんざいし)が関東などへ出かけていたそうです。万歳師たちは旦那場(だんなば)と呼ばれるお得意先をつくり、毎年決まった家に出向いていました。
門付万歳(左)と黒子(右)
2人で滑稽な動きや掛け合いをし、万歳師がポーズをとったりすると観客がおひねりを投げ、黒子の登場となります
三曲万歳(さんきょくまんざい)
鼓(つづみ)、胡弓(こきゅう)、三味線(しゃみせん)を使う万歳です。歌舞伎(かぶき)の名場面を演じる「芝居万歳(しばいまんざい)」と、謎解きなどをする「立ち万歳(たちまんざい)」からなり、江戸時代に尾張地方で始まったといわれています。
私たちに馴染みのある、ボケと突っ込みの漫才(まんざい)は立ち万歳が起源で、明治時代に関西で掛け合いの万歳が始まり、進化していったといわれています。
農業の行えない間の貴重な稼ぎとして、農民を中心に普及した万歳ですが、昭和30年代になると愛知用水が完成し、市内沿岸部に工業地帯が形成されて人々の生活は大きく変わり、門付けに出掛ける人はほとんどいなくなりました。
江戸時代から伝わる万歳も伝承が危ぶまれましたが、有志により保存会が結成されました。
現在も東海市万歳保存会により、次世代へ継承していくための活動が日々行われています。
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