都へ運ばれた知多の塩

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ページ番号1004716  更新日 2023年2月20日

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古代の知多半島は塩づくりが盛んな地域でした。東海市には古墳時代から平安時代にかけての大規模な製塩(せいえん)遺跡である、松崎(まつさき)遺跡など多くの遺跡があります。

製塩遺跡は現在は海から離れた場所にありますが、かつての海岸線は遺跡のすぐ近くにあり、目の前の海水から塩を作っていました。

写真:製塩土器
松崎遺跡出土の製塩土器(東海市立郷土資料館蔵)

松崎遺跡では製塩土器という、特殊な土器が使用されていました。知多半島の製塩土器はろうとのような形をしており、土器の下側が棒や角状に突起しているのが特徴的です。突起部分を地面に刺し、お碗状の部分へ塩分を濃くした海水をくみ入れ、周りに火をくべて海水を煮詰めて塩を作っていました。

松崎遺跡は長い期間、塩づくりが行われており、製塩土器は時間と共にその形を変えてきました。
松崎遺跡を含めた知多半島の製塩土器は「知多式製塩土器」と呼ばれています。写真の土器は左から古く、右にいくに連れて新しい時期のものになります。土器の下側に注目すると形の変化が分かります。

知多半島で作られた塩は奈良時代に、都である平城京へ「調」という税として納められていたようです。そのことを記した木簡が、平城京跡の発掘調査で出土しいています。

松崎遺跡は大田町松崎に所在し、市指定史跡として保存されています。
現在は史跡公園として整備され、公園には塩づくりに関する説明看板などがあり、知多半島の塩づくりについて学ぶことが出来ます。

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