東海市の文化財2

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1005619  更新日 2023年2月21日

印刷大きな文字で印刷

釈迦十六善神図

写真:釈迦十六善神図

釈迦十六善神図(しゃかじゅうろくぜんしんず):市指定/観福寺

室町時代の作品と考えられています。
釈迦十六善神は、大般若経を守護する護法善神で、持国天や広目天を始めとする16人の善神のことで、その形像は憤(いきどお)りの様相を示しています。この絵は、中心に釈迦三尊を配し、左右両側に8善神ずつがそれぞれの特色ある姿で描かれています。
画面一番下の向かって右には、天竺(てんじく)に入り諸部門を究め、大般若経600巻を背負った玄奘(げんじょう)の帰国姿、左には深沙(じんじゃ)大将がおかれています。
釈迦三尊といえば釈迦の脇侍として、左に黒獅子に乗った文殊菩薩、右に白象に乗った普賢菩薩をおくのが普通ですが、この観福寺のものは、逆に描かれていてめずらしいものといえます。

北斗曼荼羅図

写真:北斗曼荼羅図

北斗曼荼羅図(ほくとまんだらず):市指定/観福寺

室町時代の作品です。絹地に描かれていて、大きさはたて87.5cm、横39cmです。
曼荼羅(まんだら)とは、天台宗や真言宗がおもにその教えを説明するために、多くの尊像を一定の方式に基づいて、整然と並べ描いた図のことです。また、北斗は北斗七星のことで、七つの星が斗(ひしゃく)のように並んでいるからだともいわれています。
教えの対象によっていろいろな曼荼羅がありますが、北斗曼荼羅は、星曼荼羅ともいわれ、人の運命を支配する北斗七星・28の星座などの星を供養し、病気にかからないように、幸福で長生きができますようになどとお祈りするときに使った図です。
図の構成は、中心に如来を描き、順次外に向かって七星・九曜・十二宮、外円に二十八宿星が図示されています。奈良の法隆寺に国の重要文化財でよく似た星曼荼羅図があります。観福寺のものはその図よりも一回り小さいですが、図柄がよく似ています。

涅槃図

写真:涅槃図

涅槃図(ねはんず):市指定/観福寺

南北朝から室町時代にかけての作品です。絹地に描かれていて、大きさはたて150cm、横98.6cmです。
涅槃(ねはん)とは、悟りの世界のことで、いっさいの煩悩(ぼんのう)が吹き消された滅尽した状態を指しています。図の構成は、お釈迦(しゃか)様が両手を体側につけ、宝床は右側面を描くという平安時代以来の描き方で、比丘(びく)の顔の表情が独特であり、色も温和な色彩です。

両界曼荼羅図

写真:両界曼荼羅図

両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず):市指定/観福寺

室町時代の作品です。絹地に描かれていて、金剛界図の大きさはたて125.2cm、横107.4cm、胎蔵界図の大きさはたて124.8cm、横109.9cmです。
曼荼羅(まんだら)とは、天台宗や真言宗がおもにその教えを説明するために、多くの尊像を一定の方式に基づいて、整然と並べ描いた図のことです。教えの対象によっていろいろな曼荼羅がありますが、金剛界と胎蔵界から構成されているものを両界曼荼羅図といいます。

三千仏図

写真:三千仏図

三千仏図(さんぜんぶつず):市指定/観福寺

三千仏とは、過去、現在、未来にそれぞれ千の仏が存在しているという思想に基づいたものです。それぞれ中央に、過去は薬師如来、現在は釈迦如来、未来は阿弥陀如来が書かれ、周囲にたて28列、横41段にわたって小さく仏陀像が書かれています。過去(薬師如来)が書かれたものの大きさはたて191.4cm、横107.6cm、現在(釈迦如来)が書かれたものの大きさはたて189.9cm、横108.7cm、未来(阿弥陀如来)が書かれたものの大きさはたて186.4cm、横107.0cmです。全体に室町時代の作品と思われますが、江戸時代に修理されているようです。

蓮華水禽図

写真:蓮華水禽図

蓮華水禽図(れんげすいきんず):市指定/普済寺

明人景昭(南北朝時代と推定される)筆の美麗な絵画です。江戸時代の偉大な画家である俵屋宗達筆の蓮華水禽図に似ています。大きさはたて200.0cm、横86.2cmです。
なお、表装に辻ケ花染裂地が使われています。辻ケ花染布は、上下左右に張りつけてあり、布の模様はもえぎ色と紺色の染め分けで、藤の花をあしらい、花は染めたあとに墨で書き入れた辻ケ花独特の技法がみえます。辻ケ花染は、室町時代中ころに始まり、桃山時代に栄えた絵模様染の技法です。

出山釈迦如来画像

写真:出山釈迦如来画像

出山釈迦如来画像(しゅっさんしゃかにょらいがぞう):市指定/普済寺

この絵は兆殿司(ちょうでんす)筆といわれています。兆殿司は吉山明兆といい、雅号を破草鞋(あい)、南都東福寺の僧で、殿司の役にまでなったので、兆殿司と呼ばれています。宋元画を学んで人物画に長じ、足利将軍義持の寵(ちょう)を受けました。吉野時代から室町時代初めころにおける代表画家です。大きさはたて200.0cm、横30.0cmです。この絵は、釈迦が6年間の苦行をつんだあと、さらに、独自の道を求めて雪山により、暁の明星をいただいておりてくるときの姿で、やせほうけて、破れた袈裟(けさ)を風になびかせ、杖にすがって、わずかに身を支えているところを描いたものです。

寒山拾得画像

写真:寒山拾得画像

寒山拾得画像(かんざんじっとくがぞう):市指定/普済寺

この絵は啓書記(1431年~1485年)筆といわれています。啓書記は室町時代の鎌倉建長寺の僧で、諱(いみな)は祥啓、字は賢江、雅号を貧楽斎と名乗りました。建長寺での職名が書記だったことから、啓書記と呼ばれています。文明十年(1478年)、京へのぼり、芸阿弥の指導を受け、その紹介で室町幕府所蔵の唐絵を見学する機会をえたので、絵の技術が多いに進んだといわれています。
この絵画は、中国唐時代の脱俗的人物、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)で、ともに、天台山の近くに住み、奇行が多かったといわれています。この2人の姿を組み合わせたもので、寒山は経巻を開き、拾得はほうきを持つ図柄です。なお、寒山、拾得は、文殊菩薩、普賢菩薩の再生などと言い伝えられており、中国、日本画の伝統的な画材の一つとなっています。大きさはそれぞれ、たて200.0cm、横30.0cmです。

阿弥陀如来画像

写真:阿弥陀如来画像

阿弥陀如来画像(あみだにょらいがぞう):市指定/宝珠寺

絹地に描かれていて、大きさはたて94.5cm、横43.7cmです。阿弥陀如来立像画は日本ではあまり見かけることのない立像画です。左向き画像で踏割蓮台に乗り、右手は手のひらを前にしてななめにおろし、左手は折り曲げて手のひらを上にして第1・4指を稔じる様相、色彩は金朱のほかは、はげしく剥落をしています。
南宋の終わりころまたは元の初めころに、中国から請来された品を日本において直後に模写したものと思われます。宋時代の筆使いを見受けるめずらしい一品です。
同様のものが西福寺(福井県)、正法寺(京都府)にもあるとのことです。

釈迦十六善神画像

写真:釈迦十六善神画像

釈迦十六善神画像(しゃかじゅうろくぜんしんがぞう):市指定/宝珠寺

室町時代中ころの作で、絹地に描かれていて、大きさはたて110.6cm、横58.3cmです。釈迦十六善神は、大般若経を守護する護法善神で、持国天や広目天を始めとする16人の善神のことで、その形像は憤(いきどお)りの様相を示しています。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 社会教育課
〒476-8601 愛知県東海市中央町一丁目1番地
電話番号:052-603-2211 0562-33-1111
ファクス番号:052-604-9290
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。