東海市の文化財7

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ページ番号1005624  更新日 2023年2月21日

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万葉の歌碑

写真:万葉の歌碑

諏訪神社(すわじんじゃ)・万葉の歌碑(まんようのかひ):市指定名勝/高横須賀町北屋敷

諏訪神社の拝殿に向かって左、香良洲社(末社)の前に東面して建っています。高さ80cm、厚さ32cmの花崗岩でできています。表面には「年魚市潟(あゆちがた) 塩干家良思(しおひにけらし) 知多乃浦口(ちたのうらに) 朝?舟毛(あさこぐふねも) 奥口依所見(おきによるみゆ)」と万葉集巻7-1163の歌が原文で刻んであります。裏面には「文化十五歳春吉田定興建之并書」とあり、1818年に建てられたことがわかります。歌は「あゆち潟の潮も引いたらしい、知多の浦の朝を沖寄りに舟をこいでゆくのが見える」という意味で、今は臨海工業地帯に変貌してしまいましたが、当時は波静かな知多の浦の朝景色を見ながら、あゆち潟(名古屋南部を東へ大きく湾入していた海浜のことですが、現在は陸地となっています)の干潟を思いやった旅人の作とされています。もしかしたら、この旅人は当時この地方の特産物であった塩を都へ貢納するために上京する知多半島の住人だったかもしれません。ともあれ、1,000年以上前のこの地域の海岸線の眺望を思い起こさせる作品です。この碑を建てた吉田定興は近くに住んでいた陰陽師で、文化15年は彼の還暦の年です。
昭和57年正月、土地の初老のかたたちによって、インド産の黒石に原文と書き下ろし文を刻んだ高さ150cmの大きな碑が、かたわらに建てられています。

聚楽園大仏及び境内地・聚楽園大仏及び仁王像

  1. 聚楽園大仏及び境内地(しゅうらくえんだいぶつおよびけいだいち):市指定名勝/荒尾町西丸山
  2. 聚楽園大仏及び仁王像(しゅうらくえんだいぶつおよびにおうぞう):市指定建造物/荒尾町西丸山
写真:聚楽園大仏
聚楽園大仏

聚楽園大仏は、聚楽園公園西側に所在する大仏寺内に鎮座し、名古屋鉄道常滑線聚楽園駅から仰ぎ見ることができます。聚楽園という地名は、名古屋の実業家である山田才吉(守口漬考案者)が、この地に聚楽園旅館を建てたことに由来しています。

聚楽園大仏は、山田才吉が昭和天皇のご成婚記念として発願し、昭和2年(1927年)5月21日に開眼供養が行われました。大仏は像高18.79mの巨大な鉄筋コンクリート製で、鎌倉大仏(阿弥陀如来)を模して造られたものです。

昭和59年(1984年)には、仏体に銅粉を吹き付けるなど大がかりな補強修理が行われ、翌年に大仏寺のご本尊として修復落慶開眼供養(しゅうふくらっけいかいがんくよう)が行われました。

聚楽園大仏は、日本で最初の鉄筋コンクリート製大仏であり、完成時には日本最大の大仏でした。文化財指定に先立って行われた調査では、その強度は極めて高く、現代の高層ビルにも匹敵することが分かりました。大仏は本体が鉄筋コンクリートで造られ、外側をモルタルで覆い、複雑な形状を造り出しています。聚楽園大仏の南側に鎮座する仁王像も同じ技術を用いて、鉄筋とモルタル等により形状を造り出しています。
これらは、日本におけるコンクリート造建造物の導入・発展期において、巨大な大仏の建築を可能にし、コンクリート造の造形の新たな可能性を示したという点から、非常に優れた建造物であるといえます。

また、聚楽園大仏は屋外に立地するという特性から公共性が高く、誰もが訪れることができます。
大仏の開眼以来、聚楽園旅館を訪れる人々や、名鉄電車の乗客、そして地域の人々に親しまれ続け、地域のランドマークとなり、聚楽園のイメージを形作ってきました。

大仏の大きさ

像高18.79m、台座(高さ)2.58m、台座(直径)23.63m、白毫(びゃくごう・直径)0.33m、まゆ毛(長さ)2m、目(長さ)1.39m、鼻(長さ)1.67m、口(長さ)1.3m、耳(長さ)3.48m、胴(手首から首まで)6.06m、親指(直径)0.52m、ひざ(幅)17.88m
螺髪(らほつ(頭の丸まった髪の毛のこと))は830個あり、直径0.44m、高さ0.35mです。

仁王像の大きさ

高さ5.33m

写真:仁王像

写真:仁王像(阿形)


仁王像(左:吽形、右:阿形)

*パンフレット(紙媒体、日本語版)は、社会教育課窓口等で配布しています。

聚楽園大仏の撮影と同成果物等の使用について

撮影等を希望される方は、事前に所定の申請書を大仏寺に送付して承認を受ける必要があります。

つぶらしい

写真:つぶらしい

つぶらしい:市指定/大田町天神下ノ上

観福寺の本堂南にあり、相当な老木と見られます。根元近くから三つの幹に別れていましたが、南側の幹は伊勢湾台風で倒れ、今は二つの幹となっています。それでも、根回りは6メートルほどもあります。二つの幹はそれぞれ1メートルほどのところから数本の大きな枝に別れて伸びています。二つに分かれた幹の間に、台座を含めた高さで70cmほどの大日如来の石像がまつられていて、これは大正時代からのものといわれています。枝張り東西12mほど、南北14mほどです。

大樟

写真:大樟 大田町上浜田

大クスノキ:市指定/大田町上浜田

大宮神社の境内にあり、幹回り10mほど、枝張り東西21.8mほど、南北23.7mほどで、高さは12mほどです。樹齢は1,000年といわれていて、幹に大きな空洞があり、洞の中にほこらがあって、「楠王大竜神」がまつられています。このクスノキは、大宮神社の創建よりはるかに古いといわれ、大昔はこのあたりは小さな島で、嵐にあってここに流れついた人が、小さなクスノキにすがりついて助かりました。この人こそクスノキのほこらにまつられている「楠王大竜神」であり、このときの小さなクスノキが、今の大クスノキであるという言い伝えがあります。クスノキは昭和45年に東海市の木に選ばれています。

大樟

写真:大樟 荒尾町仏供田

大クスノキ:市指定/荒尾町仏供田

観音寺の観音堂正面にあり、幹回り9.6mほど、枝張り東西29.5mほど、南北31mほどで、高さは23mほどです。樹齢は700年以上といわれています。その根元には、「白竜照玉大明神」がまつられており、毎年3月31日には竜神祭が催されます。クスノキは昭和45年に東海市の木に選ばれています。

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