東海市の文化財8(登録有形文化財)

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ページ番号1008155  更新日 2024年3月14日

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久野家住宅(愛山居)主屋

写真:久野家住宅外観
久野家住宅外観

くのけじゅうたく(あいざんきょ)おもや/国登録/加木屋町愛敬

伊勢湾東岸の丘陵地に建つ郊外住宅で、敷地内に主屋と門柱、庭門があります。主屋は正14年(1925年)に建築された和洋折衷の文化住宅で、西村伊作が設計を行いました。木造2階建て(一部平屋建て)、切妻造、天然スレート葺きの構造となっています。外壁は1階がドイツ壁(豆砂利入りセメントモルタル塗り)、2階は下見板横張です。愛山居は老朽化した家屋を建て替えたもので、西村伊作設計の主屋は建築後、一部が改修されて2階に見晴らしの良い展望室が作られました。昭和5年(1930年)にはその様子を確認でき、同年には皇族が知多半島を訪れた際、久野家住宅に宿泊されて展望室も利用されました。1・2階に設けられた陽当りの良いベランダや、外観のいたる所をアーチで飾った意匠などに西村らしさが見てとれます。特に建物南側の窓やベランダの柱間に設けられたアーチは、建物外観を印象付けるもので、全体的にモダンな雰囲気の文化住宅となっています。間取りは1・2階共に、陽当りの良い南側に家族の居住スペースや応接室・書斎といった作業スペースが置かれ、近代的な家族や生活を中心とした機能的な間取りであると言えます。部屋も用途ごとに和室と洋室が取り入れられ、使い分けがされていました。西村伊作はその生涯で多くの文化住宅や教会といった建物を関東・関西地方を中心に設計しましたが、震災等によりそのほとんどが残っておらず、久野家住宅主屋は全国的にみても貴重な遺例です。

写真:主屋
主屋

久野家住宅(愛山居)門柱

写真 門柱
門柱

くのけじゅうたく(あいざんきょ)もんちゅう/国登録/加木屋町愛敬

門柱は敷地東側にある正門の柱です。鉄筋コンクリート造で、大きさの揃った扁平な玉石を貼り付けています。玉石はその頂部を斜め上方向に突き出すよう積み上げられており、独特な意匠は特異な印象をもたらし、通り面した景観に異彩を放っています。形式や作り方から、主屋と同じ大正後期の建築と考えられます。愛山居の建築主は学生時代に哲学を専攻しており、「哲学は、丸のものが四角であり、四角のものが丸である」という考えに由来し、住宅の門を「哲学の門」と呼んでいたと言われています。

久野家住宅(愛山居)庭門

写真 庭門
庭門

くのけじゅうたく(あいざんきょ)にわもん/国登録/加木屋町愛敬

建物南側に広がる庭園への出入口となる庭門です。コンクリート造で、擬木を用いています。柱は計4本あり、柱同士を枝状の擬木で連結させてアーチ風の門を作り出す、特異な形式となっています。形式や作り方から、主屋と同じ大正後期の建築と考えられます。自然の木を模(も)したものを擬木(ぎぼく)と言います。国内での生産は明治末から大正期頃に始まり、県内でも大正中頃~昭和前期にかけて庭園に用いられた例が確認できます。久野家住宅の庭門も比較的古い事例であると考えられます。自然の木を模したものを擬木と言います。国内での生産は明治末から大正期頃に始まり、県内でも大正中頃~昭和前期にかけて庭園に用いられた例が確認できます。久野家住宅の庭門も比較的古い事例であると考えられます。
 

守隨家住宅(旧山田家住宅)石積護岸

写真:石積護岸
石積護岸

しゅずいけじゅうたく(きゅうやまだけじゅうたく)いしづみごがん/国登録/名和町砂崎

聚楽園公園の北西、名鉄常滑線の線路沿いに位置する護岸です。かつては海だった場所ですが、大正前期に実業家の山田才吉によって埋め立てられ、人造石製の石積護岸が築かれました。人造石は明治時代に服部長七(現碧南市出身)が考案し、明治から大正期にかけて港湾工事や干拓工事など大規模工事で使用された土木技術です。左官の技術であった「たたき」(真砂土と消石灰、水を練ってたたき固める技法)を土木技術に応用したものです。その後、コンクリートが普及したことで現代では用いられなくなってしまった技術です。守隨家住宅の護岸にはこの人造石工法が用いられていて、一見すると石積みのようですが、石同士が接触しておらず、石と石の間にはコンクリートではない人造石が詰められている人造石製(石造)であることが分かります。
山田才吉(1852~1937)は明治から昭和初期にかけて活躍した名古屋の実業家で、守隨家は山田才吉の子孫にあたります。山田才吉は守口漬の考案者としても知られ、多くの事業を手がけ、名古屋瓦斯(東邦ガスの前身)、愛知電気鉄道(名古屋鉄道の前身)へも参画しました。大正5年(1916年)には料理旅館の聚楽園(しゅうらくえん)を開業し、旅館を中心とした海岸リゾート構想の計画をきっかけに、大正前期に聚楽園眼下の海岸を埋め立て、その内、店舗として計画されたこの場所に護岸が築かれました。後に住宅として利用され、現在に至っています。

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