まちの自慢

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ページ番号1003355  更新日 2023年3月28日

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写真:東海市眺望

写真:鉄のモニュメント

東海市は、中部圏最大の鉄鋼基地。日本製鉄株式会社を始め、愛知製鋼株式会社、大同特殊鋼株式会社など臨海部には企業が立ち並んでいます。
市内には鉄を材料にしたアートがいっぱい。特に、市制20周年を記念してつくられた市役所中庭の屋外ギャラリーには、10点の彫刻が緑の中で皆さんをお待ちしています。

東海市の歴史

東海市に初めて鉄の音が響いたのは、昭和14年。現在の愛知製鋼が、従来の干拓地である北新田に電気炉を建設したことに始まります。
昭和30年ごろになると、全国的に工業立地を目的とした港湾整備事業が進められ、名古屋港でも大規模な埋め立て事業が始まりました。
名古屋港南2区には、昭和36年に現在の日本製鉄が、翌37年には現在の大同特殊鋼が完成し、37年の愛知用水の通水により安定した水の供給もできることとなり、一大鉄鋼基地が生まれました。

洋ラン

写真:洋ラン

全国一の花王国・愛知の中でも、東海市は洋ランの有数の生産地です。
東海市の生産の特色は、花の種類が多いこと。シンビジウムを始め、胡蝶蘭、デンドロビウム、オンシジウム、カトレアなどさまざまな種類の花が、農家の皆さんにより栽培されています。
毎年、1月下旬には芸術劇場で市内の洋ラン栽培農家などが中心となって市の花の祭典・東海フラワーショウが開かれます。会場となる芸術劇場交流広場にはあでやかな洋ランがあふれるほどで、市内外から多くの方が訪れています。

洋ランの歴史

本市では、古くから花や木の栽培が盛んで、本市におけるランの栽培の歴史は大変古く、最初に栽培を始めた方は、大正時代まで遡ることができます。
昭和29年頃からアナナス等の観葉植物を栽培されていた農家がシンビジウムやオンシジウム、デンドロビウム、カトレヤなどの洋ランを生産し始め、昭和40年代頃からは、クローン苗が普及したことを機に生産が本格化しました。
高度成長期になると施設栽培が導入され、バイオテクノロジーの進歩によって優良品の量産が可能となり、洋ランも身近な花となってきました。農業センターでは、農家の皆さんと新しい品種の開発に取り組み、「チャーミーレイ」など新しい洋ランを発表しています。展示温室では、東海市特産の洋ランをご覧いただけます。

フキ

写真:フキ

東海市のフキ栽培は、全国でも有数の生産量を誇り、洋ラン栽培と共に都市近郊(としきんこう)農業地帯としての地位を確立しました。東海市のフキはやわらかく香りが高いため、日本全国の方に親しまれています。京浜地方をはじめ、名古屋、北陸地方などへ出荷されています。
フキは醤油、砂糖で煮詰めた「伽羅蕗(きゃらぶき)」などの料理で昔ながらの日本の味を楽しませてくれます。

フキの歴史

東海市のフキ栽培の歴史は古く、約150~200年前までさかのぼることができ、大正時代から日本一の産地として知られています。昭和42年頃から、現在のようにフキの根株を冷蔵庫に入れて休眠させ、ビニルハウス栽培をするようになりました。これにより、収穫量が増え、収穫時期も長くなりました。
現在はフキ生産の安定を図るために、愛知県園芸振興基金協会 園芸種苗センターが優良種苗を配布しています。

御殿万歳

写真:御殿万歳

御殿万歳は、今から700年ほど前に木ケ崎長母寺(今の名古屋市東区)から伝わったもの(尾張万歳)と370年ほど前に三河の院内村(今の安城市)から移住してきた多くの陰陽師(おんみょうじ)と共に伝わったもの(三河万歳)の2種類の流れを組んでいます。
「万才之故実」という古文書には万歳の始まりが書かれ、また、猿猴菴(尾張藩士高力種信)の随筆「快草」には、尾張万歳の始めは鍵屋村、藪村(今の東海市)、寺本村(今の知多市)の百姓たちが年貢を納めるのに困ったため、万歳を各地で公演して、そこでもらったお米で年貢を納めたいとの願いが許されたなどと書かれています。
古来は将軍家を始め、毎年正月には大名や旗本屋敷を訪れるのが恒例となっており、鼓の音で大門を開き、めでたく初春をお祝いするという縁起の使者であったと伝えられています。現在でも、名古屋市にある御園座の正月公演初日に初舞いを披露しています。

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