平洲塾192 とこよの国と徐福伝説

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ページ番号1004505  更新日 2023年2月20日

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平洲先生のことば(4) 言われたかも知れないことを含めて

予定は未定にして

さて、後醍醐〈ごだいご〉天皇の"新しい国づくり皇子〈おうじ〉たちの船団"は、伊勢の港を出帆しました。白子〈しらこ〉や大湊〈おおみなと〉がにぎわったことでしょう。

こういう行事をにぎやかにするのは、古代からきまっています。色どりあざやかな旗、耳にとどろく音や音楽・歌、夜の火などです。皇子軍もその例外ではありませんでした。うるさいくらいの音響が伊勢湾にひびきわたりました。が、「予定は未定にして、しばしば変更あり」(ぼくが海軍で習った名言。平洲先生のことば集に入れましょうか?)です。

嵐におそわれました。いろいろな説がありますが、そのうちに、

  • 信濃支配の皇子(宗良親王〈むねよししんのう〉)がいた。
  • 被災後、猿投〈さなげ〉、足助〈あすけ〉などを経て信濃に入った。
  • 湖沼を軸として新しい地域づくりをおこない、「これが南朝のまちである」の見本を示した。
  • 皇子は里の娘を妃〈きさき〉とし、子孫も住民に愛されて長く栄えた。

というのがあります。おそらく、清和源氏〈せいわげんじ〉をなのる海野〈うんの〉氏一族のことだと思いますが、一様ではありません。

いずれにしても漂着した皇子は、信州(長野県)の場合、土着したようです。皇子の子も"天皇"の敬称を受けたようです。

荒々しい合戦つづきの中で、「湖を軸においた静かなくらしを保証する」この皇子に託した後醍醐天皇の意図がしのばれます。この海野一族の中に「真田一族」がいます。

とこよ(常世)の国と徐福伝説

さて、もう一方の船団の北畠親房〈きたばたけ・ちかふさ〉はどうしたでしょうか?

さらに災難つづきでした。常陸国〈ひたちのくに〉(茨城県)の霞ヶ浦〈かすみがうら〉の端まで流されました。

上陸して奥へすすみました。支持者をみつけ、そこに尻をおちつけました。かれの仕事は『神皇正統記〈じんのうしょうとうき〉』という"南朝正統論"を書きあげ、これをPRの書として日本中に普及することです。専念したので仕事は思う以上にトントンはこびました。

この時、親房は、奈良時代に編まれた国勢調査の書『常陸国風土記〈ひたちのくにふどき〉』を読みました。冒頭に、「世にいう"とこよ(常世)"。永遠にほろびない国は、常陸国のことなり」という一文にぶつかりました。この風土記の編者は、当時、実権を握っていた藤原不比等〈ふひと〉(大化の改新の立役者・藤原鎌足〈かまたり〉の次男)の子・藤原宇合〈ふじわらのうまかい〉で、国司〈こくし〉として常陸国に赴任していましたから、自然、生産力の高さ、住民のくらしなど、常陸国はまさに、「この世のユートピア(とこよ)」だったかもしれません。

親房は笑います。

「よし、南朝の手で常陸を本当に"とこよの国"にしてやろう」

"とこよの国"についてはいろいろな伝えがあります。愛知県の伝承"あゆち"もその一つだと思いますが、秦〈しん〉の始皇帝が徐福〈じょふく〉に命じた"不老不死の妙薬探し"が有名です。

この薬草は蓬莱山〈ほうらいさん〉という山に生えています。徐福は「この山は日本にある」と考えました。探しまわりましがみつかりませんでした。しかし、日本国内に"徐福の伝説"は遺跡とともにあちこちに残っています。

ぼくは佐賀県の西九州高速道路脇にある遺跡が好きです。

徐福はここに上陸して不老不死の薬草を見つけましたが中国へは帰らず、死ぬまで暮らしたと伝えられています。徐福ゆかりの神社や史跡、"徐福ゆかりの薬草園""徐福館"などがあります。‥‥‥不老不死の薬草を見つけたのに、生涯を終える……ハッハッハ~、なんで笑うの? だって死んでしまったってことは、不老不死の薬草が見つからなかったってことじゃない?

もう一つは、すぐ脇に"佐賀論語"と呼ばれた佐賀藩の「葉隠〈はがくれ〉」の口述者が庵〈いおり〉をかまえたところでもあるからです。

琉球こそ、とこよの国

ところで、突拍子もない提案をいたします。

5月15日に、沖縄本土返還50年の行事(沖縄復帰50周年記念式典)がありました。当時、東京都知事の秘書だったぼくも、美濃部亮吉〈みのべ・りょうきち〉東京都知事の御供で参列しました。往〈いき〉は外国旅行、復〈かえり〉は国内旅行、という妙な経験をしました。

あの日、沖縄(正しくはウチナーです)は雨で、ハイビスカスの赤い花もぬれていました。ぼくはそれが泣いているようにみえました。(よろこびの涙なのか、それともかなしみの涙なのか)

ぼくが帰りの飛行機の中で心に決したのは、「必ずぼくたちの努力で、よろこびの涙にしなければならない」

ということでした。

では何をするのか?

嚶鳴〈おうめい〉協議会【注】の力で、「日本の"とこよの国"は、ウチナー(琉球)である」ということを立証することです。

小渕恵三〈おぶち・けいぞう〉首相のとき、沖縄で国際会議(第26回主要国首脳会議、沖縄サミット)が行なわれました。

メイン会場は万国津梁館〈ばんこくしんりょうかん〉でした。今は、コンベンション施設となっています。

その貴賓室に、一枚の屏風が飾られています。全文古文が書かれています。琉球王朝時代の15世紀につくられた「万国津梁の鐘〈かね〉」の碑文です。そのある箇所に、「(琉球は)蓬莱嶋なり」という一文を発見しました。

「古来云うところのとこよの国は、琉球である」ということです。

中国の海運からいえば、出港地(香港や上海など)に一番近いのは台湾であり、琉球でしょう。日本ではないのです。

いかがでしょうか? 嚶鳴協議会の仕事としてこの実証を手がけては? 協議会の広くあたたかい心が世界に伝わります。「トンデモナイ思い込み。協議会を潰〈つぶ〉す気かッ!」

いまからおしかりが目に見えます。

でもぜひ、そうしていただきたい理由があるのです。 (つづく)

【注】嚶鳴協議会:ふるさとの先人を地域づくりに活かす全国13の自治体による協議会で、童門冬二氏が名誉会長を務める。平成19年(2007)、東海市の呼びかけで始まり、名称は細井平洲が江戸に開いた塾「嚶鳴」に由来。恵那市(岐阜県)、大野町(岐阜県)、沖縄市(沖縄県)、小田原市(神奈川県)、釜石市(岩手県)、木曽町(長野県)、高鍋町(宮崎県)、多久市(佐賀県)、東海市(愛知県)、長野市(長野県)、日田市(大分県)、養父市(兵庫県)、米沢市(山形県)が加盟(令和4年度)。

嚶鳴協議会HP(外部HPへリンク)もしくは「嚶鳴フォーラム・嚶鳴協議会」で検索

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