平洲塾182 落語家・春風亭柳昇さんからの電話(2)

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ページ番号1004515  更新日 2023年2月20日

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「春風亭柳昇は日本でアタシ只一人」と豪語した柳昇さんは、なぜ私に電話してきたのでしょうか? そしてああいう質問(アナタ勲三・アタシ勲四。ナゼデショウ?)をしたのでしょうか? 二十年の間、このことはずっと私の頭の一角に解けない氷の塊として残りました。正直にいえばまだ引っかかっています。

でも、二十年考えた結論(のようなもの)は一応まとめてあります。それを書きます。というのは、この問題を私は細井平洲先生と絡ませて考えたからです。特に江戸の両国橋畔の青空劇場で、大衆芸能人に混じって講話をなさった平洲先生と絡ませたからです。このことは柳昇さんの質問とも関係があります。

柳昇さんの質問の裏には、氷山のような大きな山があるのでは? と私は考えました。それは、「落語家(もっと広げれば芸能人)の業績と置かれた社会的地位(評価)への疑問」の提起です。率直にいえば、「落語家の業績は歴史小説家よりも劣るのか?」ということです。これは私の問題よりもそういう定めを作った政府担当省の問題なのですが、特に私を選んだ柳昇さんの気持ちを忖度〈そんたく〉する必要があるのです。

「お前さん(柳昇さん)は死んじゃったンたからもういいだろう」といって済ませないことなのです。

私は落語界には非常に世話になっています。その一つは講演の時の話法です。明らかに三遊亭円生さんのパクリです。三味線漫談の柳家三亀松さんからも学んでいます。

話法としての技術だけでなく、落語そのものにも、多くの教訓と人間の真実を感じとるからです。それを真っ向から扱うのでなく、テレや原罪意識(太宰治の“生まれてすみません")で、“笑い"に昇華(本当は止揚)させてしまう、高度の表現芸は他に例がないものです。

柳昇さんが私に電話をかけてきたのは、「お前さんならアタシの気持ちがわかるだろう?」ということであって、決して私を責めるためではありません。また責められる要因もありません。

世代的におそらく大正後期の生まれである柳昇さんと、昭和初期生まれの私とは共に"ロスト・ジェネレーション(失われた世代)"です。

「何を失ったンだ?」と訊〈き〉かれても、「さあ」と答えに窮〈きゅう〉する世代なのです。生きるのにいつもマゴマゴしています。

ただ取り柄として持っているのは、「人間の心の傷の痛み」だけは感覚的に感じ取るということです。孟子の"忍びざる心"を"本能"として持っている、ということでしょうか。

平洲先生はそれをお持ちでした。そして社会におけるその"位置づけ"も考えておられました。

(つづく)

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