平洲塾181 落語家・春風亭柳昇さんからの電話(1)

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ページ番号1004516  更新日 2023年2月20日

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平洲先生に話を戻す前に、ちょっと寄り道をさせて下さい。二十年以前に私は勲三等の褒賞をもらいました。勤めはとっくに辞めており、お祝いの会も辞退して何もしませんでしたが、ひとりの落語家から電話がかかってきました。

「えー、春風亭柳昇です。ご存知ですか?」

「はい。春風亭柳昇は日本で私只一人の師匠ですね」

「よくご存知です。その柳昇です」

落語好きの私はよく知っていますし、ファンのひとりでもあります。でも面識はありません。

「で、師匠、どういうご用で?」と訊きました。柳昇さんはこう言いました。「ご授賞おめでとうございます。でもあなた勲三、あたし勲四、なぜでしょう?」唐突な問いかけで、そんなことを訊かれても答えようがありません。

「師匠、申し訳ありません。考えたことがないもので」私は正直にそう応じました。褒賞に余り関心がなかったことと、柳昇さんが勲四(等)に指名されていることも知りませんでした。柳昇さんもそれを察して、「おじゃましました。以後ご昵懇〈じっこん〉に」と電話を打ち切りました。二日ばかり後にドサッと大荷物が届きました。柳昇さんのサイン入りの著書です。落語よりも陸軍の兵隊さん経験のものばかりです。サインの字はかなり達筆です。子供の頃、お習字に毎日通わされた私にはよくわかります。

(柳昇さんめ、只者ではないな)そう思いました。

通〈つう〉の方はご存知でしょうが、柳昇さんは昇太さん(“笑点”の司会者)のお師匠さんです。団地の役員もの等の、私のいう"公衆”ものをネタに新作の多い落語家(はなしか)です。

本はいただきましたが、私は電話での質問「あなた勲三、あたし勲四、なぜでしょう?」の質問にまだ答えていません。

そのうちに柳昇さんは亡くなってしまいました。

こういう方面にくわしい人にこのことを訊きました。知りませんでしたが、その頃の制度では「芸能関係の授賞は勲四が上限」という定〈さだめ〉があったようです。「人間国宝」などの別な褒賞はありますが、叙勲に関する限りそういうことになっていたようです。

私は講談師の宝井馬琴さんとも親しい仲でした。ラジオの深夜便に一緒に出たり、上杉鷹山を講談にして演芸旅行(かれが講談、私が講演)をしたりしました。

ある時旭川で雪に降られて飛行機が飛べず、ホテルで飲み明かしました。この時かれが、「センセー(私のこと)ヨウ」と迫りました。

「なアに」

「オレ、いつ人間国宝になるのかなァ?」私はビックリしました。ホンキかよと思いました。今は馬琴さんの気持ちもよくわかります。

そういう制度があることは私も知っていますが、誰が対象になるかは、政府(文科省)が決めることで、自分が意識することではないだろう、と私は思っていたからです。

答えようがなく、「オレにはどうしようもねぇな。師匠よ、そんなにもらいたい?」と訊きました。馬琴さんは、「もらいてーよ、そういうものしかオレたちの仕事を評価してくれるものはねえ(ない)もの」馬琴さんはそう答えました。

今なら馬琴さんの、「人間国宝になりてえ」という気持ちも、柳昇さんの「アナタ勲三・アタシ勲四、ナゼデショウ?」の言葉とリンクさせて考えます。でもあの旭川の雪の夜には思いつきませんでした。二人共酔っていました。私は心の隅で(人間国宝なんて、そんな大それたことを!)と思っていました。

でも今なら柳昇さんの心の叫びも、あるいは平洲先生が両国橋で交流していた芸能人たちも、そういう自負と誇りを持ったのでは? と考えます。そして平洲先生はそのことに気づき、大事にしていたのでは、と思うのです。 (つづく)

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