平洲塾200 今度の話は落語の芝浜 人見弥右衛門と平洲先生(2)

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ページ番号1006994  更新日 2023年5月8日

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平洲先生のことば(12) ~言われたかもしれないことを含めて~

 足助次郎と鈴木正三

 二人はここで芝浜をはなれてしばらく足助の話をした。いうまでもなく南朝の忠臣足助次郎の誕生地だ。弥右衛門がいった。

「私の推測によると、次郎も南朝への物流に力を貸していたのではないでしょうか?」

「私もそう思います。後醍醐天皇が各地に派遣した皇子の一人が三河に上陸し、足助を通って信州(長野県)に入り、現地に住みついていますからね」。平洲先生は賛成した。

 大和街道から北上して高野山に入り、蔵王堂に朝廷をおいた南朝は、次第に足利軍(北朝)に圧迫されて西吉野村(奈良県五條市)に退き、やがて山を降りて伊勢側に達した。かわらぬ勤皇心をもつ北畠氏を頼った。

 後醍醐天皇は吉野山で崩御されたが、南朝の遺臣たちは各地でその遺志を継いだ。

「転々とする南朝の人々にとって、食料や物資の補給は欠くことができませんからね」

「あの合戦の名手・楠木正成〈くすのき・まさしげ〉も、地元の河内〈かわち〉(大阪府)では、物流のための道路や、それに配水の実力者だったそうですね」

 二人のオタク的歴史話は絶えない。

 平洲先生が弥右衛門をみた。

「私に話があったのではありませんか?」

「あります。あとで話します」

 平洲先生はちょっと疑わしそうに弥右衛門を凝視した。

 弥右衛門がこれだけ渋るのは、よほど大事な話だろうと感じた。だから弥右衛門のほうから切り出すまで、だまっていようと思った。そこで話を変えた。

「足助は鈴木正三〈すずき・しょうさん〉さんの出身地です」

「そうでしたね。正三和尚は天草の乱後の、復興の精神的指導者(いまなら“心のケア”)でした」

「だから天草では、お坊さんなのに、カミさまにして、天草神社に祀っています。神社には天草代官の弟とその子の三人が祀られていますね」

 やりとりの途中で弥右衛門が訊〈き〉いた。

「そういうお話も足助ではされるおつもりですか?」

「いたします。うまく組み込むつもりです。知多のために。中京の文教振興のためにも。さて、人見さんのお話をおきかせ下さい」

「はい、お話しします」

 人見弥右衛門の話は重大だった。

 

 一橋治済の謀略

 私は現在〈いま〉、“帯状ナントカ”という病気におかされているので、眼が不自由になり、出席しなければならない催しにも参加できない。

 主催者の心くばり(恕〈じょ〉のこころ)によって、ビデオに撮り、それを会場で披露してもらうこともある。先日、東海市の「童門冬二の嚶鳴講座」(令和5年12月18日開催)もそうしてもらった。話の中身はこのごろ気づいた、

「汚職老中田沼意次〈たぬま・おきつぐ〉の松平定信〈まつだいら・さだのぶ〉による追放は、はじめから仕組まれた一橋治済〈ひとつばし・はるさだ〉の謀略ではないのか?」というものだ。話したことの概略を書かせていただく。

 1 ご三卿〈ごさんきょう〉の一つである一橋治済は、自分の息子家斉〈いえなり〉を次期将軍にしたいと思った。

 2 しかし世論はご三卿のもう一つである田安〈たやす〉家の長男定信〈さだのぶ〉を“期待される英明な君主”として、事実上の次期将軍に決めていた。

 3 治済は定信をのぞくために、時の幕府の実力者田沼意次と組んだ。

 4 策にひっかかり、定信は奥州(福島)の白河藩主にされ、将軍のチャンスを失った。

 5 しかし、定信は報復の念などもたず、老人たちのチエを重んじて善政を行なった。

 ここで私は大恥をかくシチュエーションにおかれた。松平定信の名を忘れてしまったのだ。

 立ち合いの寺田さんに何度もきいた。寺田さんは根気よく答えてくれる。が、私はすぐ忘れる。

 (ああ、おれもついに「あんた、だあれ?」の病気になったか?)

 とゾッとした。が、もしそうだとしても、事実は正面から受け止めよう。こいつとキチンと戦うのだ、と心を決めた。

 定信の名は寺田さんの書いてくれた大きなメモによって切りぬけたが、このVTR撮りには、そういうことがあったことを、かくさずにご報告しておきます。

 人見弥右衛門の話は、

 「松平定信様が辞任の境地に追い込まれているのです。一番、おなやみになっているのは、松平様を老中に推せんされた、わが殿徳川宗睦〈むねちか〉様です」

 と告げた。

 本当ならこれは大変なことだ。せっかく糸口についた、

 「中京の文教振興(ルネッサンス)」

 も吹っとんでしまう。それにしても松平定信に一体、何が起こったのか? これにも一橋治済がからんでいる。次回ご報告する。

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