平洲塾185 平洲先生が両国橋に通った理由(1)

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ページ番号1004512  更新日 2023年2月20日

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細井平洲先生はなぜ両国橋脇の"青空劇場"へ通ったのか、私はいまだに、「これだア(このためだ)」という決定的な的〈まと〉をキャッチしていません。

ただ自身の経験から歴史の“イフ(もしかして、そうではないかな、という仮説)"を一つ持っています。それは先生は目的を二つ持っていて、

  1. ひとつは自分の学説(人間の生き方)の周知
  2. もうひとつは周知を効果的にするための"話術"の練達

です。2.は1.のためです。

私の経験というのは、政府機関(教育センター、自治大学校・税務大学校等)から講話を依頼され、いずれも20年から30年の長期に及んでいます。テーマは「歴史に学ぶ」です。単なるリーダー・シップ論でなく、「国民から信頼されるにはどのように心がければよいか」という、いわば「徳育の培養」を目的にしています。『論語』の「徳あれば必ず隣り(理解者・協力者)あり」の実践です。

茨城県のつくば市にある文部科学省の教育センターも、20年以上おじゃましましたが、一貫して、私が先生方(聴講して下さる)にお願いしたことが一項目あります。それは、「子ども相手の話術にも努力して下さい」ということです。

聞いて下さる先生の中にはおそらく、「われわれはアナウンサーや芸能人ではない」という、挑発される方〈かた〉があったと思います。承知の上で私はあえてお願いしつづけてきました。先生たちにとって"耳の痛い例"もあげました。

「同じ話をしてA先生の場合には子どもたちはしずかに耳を傾けました。が、B先生の場合には私語をしたり、雑音を立てたりしてまじめに聞きません。これはB先生がわるいからです。どこが悪いのか。B先生には孔子のいう"恕〈じょ〉の気持ち"がないからです」と話します。

"恕"というのは、「相手の立場に立つ」という、一種のヒューマニズムのことです。ですからこの場合は、「聞き手である子どもの立場に立つ」ということです。

平洲先生が両国橋へ行ったのは、ここで諸芸の技を競う芸能人たちから、「自分の話に魅了される聞き手を生むのには、どう話せばいいか」という"話し方"の技〈わざ〉の感知と修得にあったのではないでしょうか。つまり早くいえば先生も、「自分の話を関心や興味を持ってきいてくれる聴衆の育成」を狙って、芸能人たちの話術をパクりに行ったのです(と思います)。

(つづく)

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