平洲塾183 両国橋の平洲先生

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ページ番号1004514  更新日 2023年2月20日

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ヒバリはサエズリで空にとどまる

春風亭柳昇〈しゅんぷうてい・りゅうしょう〉さんとの「芸能人の褒章〈ほうしょう〉についてのやりとりを書いている時期に、新内閣による"秋の叙勲者"が発表されました。言葉は悪いのですが堰〈せき〉を切られた水のような、ドッという感じで大盤振舞いです。俳優さんや小説家も入っています。柳昇さんが生存していたらどう反応したでしょうか。また「文化勲章」の人々をみて宝井馬琴〈たからい・ばきん〉さんはどう呟〈つぶや〉いたでしょうか。「オレも入ってたかも知れねーな」かれの枯れた声があの世からきこえてきます。

細井平洲先生が江戸で開いた「嚶鳴塾〈おうめいじゅく〉」の嚶鳴という言葉の意味は、「鳥同士の議論の声だ」ということは、いままでに何度も書きました。鳥同士のサエズリということなら、一番ウルサイほど鳴いているのはヒバリでしょう。夏目漱石でしたか、「ヒバリが空にとどまっているのは、羽の運動によってではない。サエズリによってだ」と書いているのを思い出します。皮肉屋らしいかれの鋭い感覚で、そのまま人間社会にもあてはまります。

そしてこれは平洲先生の教育法でもありました。平洲先生は門人たちの議論を重んじ、自分の講話はあまり重視しませんでした。自身は両国橋際〈りょうごくばしぎわ〉の青空劇場に出かけて、芸能人に混じって野天講話をおこないました。どっちに主力をおいていたのかわかりませんが、先生が農村では村々の巡回講話を、町では庶民への青空講話を大事に務めておられたことは事実です。となるとどうしても"時間を生み出す工夫〈くふう〉"が必要になります。

時間を生み出す工夫

先生は「塾での講話」と「両国橋での講話」の二つを、同時におこなうことはムリです。となればどちらかを割愛しなければなりません。

先生は「門人への講話」を割愛しました。散々議論をさせ、門人たちが「もうオレは限界だ。先生のご意見をきこうじゃないか」という時になって、はじめて"塾の仕事"に参加しました。

この方法は平洲先生だけでなく、他にも同じ教育法を執っている先生がたくさんいます。「松下村塾〈しょうかそんじゅく〉」の吉田松陰はその代表です。

平洲先生はその方法で生んだ時間を両国橋の講話にあてました。

実はここへくる先生の目的はもうひとつありました。大げさにいえば「庶民芸能における話術にまなぶ」ことです。これは先生にとって大切なことでした。

先生が両国橋へ出かけて庶民を対象に講話を始めた動機は、いまでいう電子工学のフィードバックです。つまり「出力の一部を入力にかえて出力を調節する」ことです。

まわりくどいのですが、私はフィードバックで一番大切なのは、この部分だと思っています。人間の行為にたとえれば、出力は、「こちらから発信する情報や意見」です。入力はそれに対する反応やきき手の意見です。

(つづく)

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