平洲塾184 フィードバックに勇気を奮う

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ページ番号1004513  更新日 2023年2月20日

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ふつう、発信と受信の関係は算数の足し算と引き算のように考えられています。が、"フィードバック"における出力と入力の関係は複雑です。それは、「出力側が入ってくる入力(反応や意見)を、出力を出しつづけながら受けとめて、「いま出している出力をこのまま続けてもいいのか」と、反省することです。かんたんな場合は出力に一部修正を加えます。そうでない場合は出力を停止します。

前回、「フィードバックで一番大切なのはこの部分です」と書いたのはそういう意味なのです。一般にこのことはなかなか実行されません。それは「過程における修正や調整」を面倒臭がったり、わずらわしく思う風潮が世の中に定着しているからです。

"やりかけ"の途中で、「ちょっと待ってくれ、ここは直したいんだ」とタイムをかけることは、社会慣習上からも恥ずかしいこと(ミットモないと思われる)という風潮が定着しているからです。

ですからこのフィードバックの目玉であり、核であるはずの“過程(途中)における検証や反省"も、「ここはちょっとヘンだな」と思っても、「まあ全部終わってからでいいや」ということで通過してしまいます。

この習慣がどれだけフィードバックの真義を損〈そこ〉ね、伝えるべき真実をヤミからヤミへ葬ったかはかり知れません。

平洲先生が両国橋に出かけて行ったのは、「いま嚶鳴塾では門人たちが与えた課題について、カンカンガクガク、ケンケンゴウゴウ」の議論をしているが、私の課題の与え方は正しかっただろうか?」という振り返りがひとつあります。もし正しくないと思えばすぐ塾にとって返し、「諸君、議論は中止。テーマの設定が誤〈あやま〉っていた。つぎのように修正する。済まん」とおっしゃることでしょう。

なかなかできないことです。フィードバックには"勇気"がいる、ということです。平洲先生流にいえば、"勇なるかな、勇なるかな"です。

平洲先生が両国橋に行くのは、もうひとつ大事な目標があります。それは、「ウケている芸能はナゼウケるのか?」という分析です。

平洲先生は庶民や農民を相手に話をする時には、

  • むずかしいこともやさしくほぐし、
  • 庶(農)民視線(めせん)で問題をとらえ、
  • 極力一緒に(寄り添って)考え、
  • その問題の解決策を複数用意し、
  • 一番いいと思われる策を選ぶ

という、いわば"自分の意見形成法"を生み、確立する手伝いをするのが目的です。これは先生が、両国橋に集まる長屋の八っつぁんや熊さんを、付和雷同の"大衆"から、自分の意見形成力を持った"公衆"に変質させたいという希〈ねが〉いの表れです。

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