平洲塾202 発見した処士と新民 細井平洲先生の講話・中締め
平洲先生のことば(14) 小説 廻村講話~言われたかも知れないことを含めて~
ある日の会合
ある日、「細井先生のお話の反応の中締めを知りたい。われわれの方向性の問題もあるから」と、人見弥右衛門(ひとみ・やえもん)に告げたのは、尾張藩主徳川宗睦(むねちか)でした。
平洲先生はちょうど木曽の山林で働く人たちに、山林の働き手の代表者として、山の木を相手に生きる者が風(空気)とどう語り、水(川)とどう語り、土とどうふれあって人間としての“徳”をどう伝えるかを、大デベロッパー(開発者)としての河村瑞賢(かわむら・ずいけん)を借りて話したばかりだったので(山林の意義や現実の話は、山林代官の山村蘇門(やまむら・そもん)先生にお願いして)、
「ちょうどよかった。私のほうでもいままでの中締めをきいていただきたいと存じておりました」と即応しました。
これはもちろん、尾張藩校明倫堂(めいりんどう)にきてからのことだけでなく、江戸両国橋での落語や講釈も含まれることはいうまでもありません。場所は中華料理店王さんの店が選ばれ、京都へ行く前の老中松平定信(まつだいら・さだのぶ)、幕府大学頭(だいがくのかみ)林述斎(はやし・じゅっさい)、林塾塾頭佐藤一斎(さとう・いっさい)らが加わりました。もちろん適時、うまい料理を用意することをわすれずに。
徳川宗睦からの質問
「先生」
弥右衛門が平洲先生に呼びかけます。
「私が回し(進行役)をつとめさせていただきます。どこの会場でもきき手の質問より、先生がきき手の意見を引き出すことのほうが多かった、と思いますが?」
「それが私の理想です」
「何か得られましたか?」
「得られました」
「どのような?」――これは徳川宗睦が聞きました。
平洲先生は嬉しそうな顔をしてすぐ応答しました。
「処士(しょし)と新民(しんみん)に出会えました」
「えっ、本当ですか?」と宗睦。
「その解説はのちほど私がじっくりいたします」
「しかし、その二つともわが国に見当たらぬとされている者。先生、よくぞ発見されました」
純粋な宗睦は感激している。
「共に『大学』の説くところ。その二つさえあればこれをひろめ、われらの目的たる中京の文教改革は成れりということになる」
宗睦のテンションはますます上がります。
すでに平洲先生の発言にも重大なものがあります。それは現在の私たちの「PR」の定義に関することです。
PRは“パブリック・リレーション(公衆関係)”と訳され、「広報(発信)と広聴(受信)で成立すると解釈されています。そしてどちらかといえば、「広報」に重きがおかれています。
しかし、弥右衛門の印象では平洲先生はどうも「広聴(受信)」のほうに重きをおいておられるようです。これはPRの本当のありかたのようです。
宗睦はそういうタイプの殿様でした。思わず、
「そんな世の中だと、もう幕府なんかなくなっているかもな」と、思わず心の底で思っていることをつぶやきました。弥右衛門が思わず「殿!」ととめましたが、形だけでした。
それだけでなく、つぎのような話をしました。
「今日、長州(山口藩)の奴がこんな話をしていました。長州では、名物の魚のフグを、フグと呼ばずに『フク』にするそうです」
「なぜですか」と佐藤一斎先生。
「フグは不遇(ふぐう)を招くから」
「フクは?」
「『幸福』を呼ぶそうです」
「なるほど…」
寛政のころから、もうこんな話をしていたようです。徳川宗睦が廃幕論者だったことは、ある本に書いてありました。長州藩は薩摩藩と生産品の交換をしていたそうです。
日本にはない職業
さて、最初に平洲先生が出会った「処士」と「新民」について説明します。
「処士」という職業はついに日本では設けられませんでした。載せた辞典がわずかにあります。
「官業に就かなくても生活できるほどの資産をもち、著述業が可能な立場にある人のこと」
とあります。例として中江藤樹(なかえ・とうじゅ)らがあげられていますが、ぼくはちょっとちがうと思っています。藤樹は陽明学者であり、のちに藤樹教といっていい信仰を始め、自己資産がそれほどあったとは思えません。
いたかもしれませんが、社会的に職業として認知されませんでした(と思いいます)。
「じゃあ、認知されていたらどうなる? とおまえ(童門)は考えるんだ? というご質問には、ぼくは社会がもっと変わっていた、と思うのです。それは孔子も孟子も、つまり古代中国の思想的諸子(先生)と呼ばれる人々はすべて「処士」という職業の人だったからです。
孔子や孟子は数十人もお供を連れて、
「いい身分だな」と老子先生に皮肉られています。日本にそんな思想家はひとりもいません。
でも平洲先生は「出会った」とおっしゃっています。
ぼく個人は「平洲先生こそ処士ではないのか?」と思っています。が、どなたにお会いになったのでしょうか?
さて、つぎに「新民」です。
が、宝物ですから次回に書きます。 (つづく)
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