平洲塾217 再考 細井平洲先生 第5回
「恕<じょ>」と「忍びざるの心」
孔子<こうし>の「恕」
江戸時代中期、平洲先生のおられた時代の政治の動きを紹介してきましたが、細井平洲先生は、そんな時代や世の中の動きを、冷静に見ておられました。
そして、
「やっぱり世の中というのは、孔子や孟子<もうし>が言っていたたくさんの言葉の中から、二つの言葉を、とくに大事にしなければいけない」
と考え、生き方・考え方、ものの見方・判断の仕方の原点にされていたのだと思います。
その言葉とは、「恕」と「忍びざるの心」の二つで、私も、一番重んじている言葉です。
最初に「恕」について紹介します。
子貢<しこう>という門人がいました。ある時、先生である孔子に聞きました。
「先生」
「なんだ」
「私は頭が悪いので、先生の教えを全部消化できません。それで、この一字さえ、覚えて実行していけば、先生の教えに背<そむ>くことは絶対にないという字がありましたら教えてください」
「虫のいいお願いだね」
と言いながら、
「それは、恕という字だよ」
と、孔子は言いました。論語<ろんご>衛霊公<えいれいこう>編の「師曰<いわ>く、其れ恕か」です。
見たことない字ですから、家に帰った子貢は、辞書を引きました。そうしたら、
〈常に相手の立場に立ってものを考える、こちら側の思いやりと優しさのことを言う〉
と、書いてあります。
「なるほど……。先生はやはりいいことをおっしゃる。自分はこの一字をかついで、諸国を遊説しよう」と遊説して回りました。
やがて、人々が子貢を目にすると、「『恕』が来たぞっ」「多少のわがままを言ってもあの人は聞いてくれるいい人だ」と「恕の子貢さん」として有名になったという由緒<ゆいしょ>があります。
孟子の「忍びざるの心」
その孔子から100年か200年後に生まれた孟子という人が、「忍びざるの心」というのを自分の説として説きました。
川のほとりを歩いていたときに、小さな子供か、あるいは車椅子に乗った人が落ちかかっていたとします。これを見た通行人は、衝動的に、助けてあげたいと思って、すぐ救助に向うでしょう。孟子は、そんな、見るに忍びない心、善の心を人間は本質的にもっていると考え、それを、「忍びざるの心」「恒心<こうしん>」と名づけました。
ただ、「恒心」はいつも発揮できるとは限らない、「『恒産<こうさん>』なければ『恒心』なし」だ、と、孟子は言います。
恒産というのはある程度の財産か、あるいは、お金そういうもののことです。それがなければ、結局優しい心を持っていても発揮できないと孟子は言うのです。
僕もその通りだと思います。
今の世の中で「恒産」というのは都市施設つまり、そこの地域の責任者が整わせなければいけないような、例えば住宅、学校、病院、図書館というような生活する上において必要なハコモノ、都市施設、インフラのことです。それを作らないでいて、住民に「恒心」をみんな持ってくださいと、そんな精神教育ばかりしていても駄目だということです。(つづく)
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