平洲塾203 “公衆"は“新民"か? (1)

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ページ番号1007864  更新日 2024年1月11日

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平洲先生のことば(15) ~言われたかも知れないことを含めて~

二宮金次郎の疑問

 『大学』という本はいろいろと考えさせられます。全文で1740字、400字詰め原稿用紙で4枚強です。
 中に、「新民」という言葉があります。ぼくはこれが、このシリーズでたびたび言及する“公衆”に当たるものだと思っています。
 二宮金次郎も深くこの本の影響をうけたと伝えられますね。そして、巷説〈こうせつ〉では、
 「何度もくりかえし読んだが、どうしても理解できない、金次郎はそのページを破り捨ててしまった」とあります。
 落語の「浮世根問い」の子どものようなぼくは、何でも、なぜなの、どうしてなのと執拗にその原因をたずねるクセがあります。しかし、この問いに明確に答えをくれた先学にはまだ出会えません。
 しかし、自分の持った疑問にはトコトン執着する金次郎さんのことですから、一度は、
 「ええい、わからない!」
 と腹を立てて捨てたページを、考えをかえて拾いあげたことでしょう。そして改めて、その疑問に立ち向かったと思います。
 これはぼくの独断です。金次郎さんの疑問は、
 「新民」だと思うのです。
 『大学』の中でも新民には二つの文字が使われています。新民と親民です。意味は同じようなもので、
 「改める」
 となっています。つまり、“自己改革”のことです。ぼくが勝手に名づけた“自己自治”のことです。『大学』が規定する「修身」のことです。
 でもなぜぼくは金次郎さんが、「新民」にこだわるか、ということについて少し説明します。


自分を“新〈あらた〉める”

 ぼくは哲学には弱いもの書きです。しかし、言葉の移り変わりには敏感です。毎年の流行語にも真っ先に目を向けます。そして、
 「うまいことをいうなァ」と感心します。これは感覚で字をとらえるからです。
 金次郎さんも同じだったと思います。しかし、江戸時代後期の感覚で「新(親)民」という言葉は珍しすぎました。
 金次郎さんも、当時としてはかなり“ナウい”人物だったと思いますが、さすがに新民は受けとめ得なかったのです。
 まして、ぼくのように、

 ・新民は“公衆(パブリック)”の原点です。
 ・つまり、2000年も3000年も前から古代中国に表示されているのです。
 ・当時の社会でどう受け止められたかはわかりませんが、国語としては、やはりフレッシュで、その新鮮さに多くの人はおどろいたことでしょう。

 と考える人間がいれば、なおさらビックリしたことでしょう。
 金次郎さんの本に、自分のことを“余(よ)”と書いたものがあります。お弟子さんの書いたものですが、ぼくは引っかかります。
 金次郎さんは、“徳”を大切にし、徳に生きた偉人です。ぼくが生き方の上で相当学んでいる人です。
 その人が自分のことを、“余”などと、チンピラ大名のような呼び方はしないと思います。「わたし」「われ」「わし」などが普段使っていた言葉ではなかったでしょうか?
 その金次郎さんが「新民」にはビックリしたのです。自分ではとっくの昔に、「自分を“新(あら)ため”ていたにも関わらず、この言葉にはおどろいたのです。
 でもぼくは今、あえて、
 「公衆の原典は、『大学』の『新民』に在り」と確信します。
 (つづく)

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