平洲塾215 再考 細井平洲先生 第3回
一橋治済〈はるさだ〉の迂遠<うえん>な策略
田沼意次から松平定信へ
自分の息子を将軍にしたいという野望を抱いて、田沼意次と組んで松平定信を白河藩主に押し込んだ一橋治済〈はるさだ〉でしたが、今度は、その田沼意次が、目の上のたん瘤<こぶ>になってきます。十代将軍・家治のもとで、幕政は田沼意次の独断場になっていたからです。このままでは、たとえ自分の息子が家治の跡を継いで将軍になれたとしても、傀儡〈かいらい〉政権というか、お飾りの将軍になってしまう。田沼を潰さない限り、自分の野望は、成功しない。そう考えた、治済は、今度は、田沼追い落としの画策を始めます。
飛ぶ鳥の勢いで、権勢を欲しいままにしていた田沼意次ですが、その政治は、賄賂が賄賂を生んで金まみれになっていきました。やがて、庶民たちも、田沼政治に飽き飽きして
「田や沼や よごれし御池を あらためて 清く澄ませ 白河の水」
という落首<らくしゅ>まで作られるようになりました。白河の水というのは、名君として評判になっていた松平定信のことです。
そんな、情勢の中で、早くから松平定信を評価し、幕政への参加を期待していたのが、尾張藩主の徳川宗睦〈むねちか〉でした。そこで、一橋治済は、徳川宗睦に近づいて、今度は、松平定信擁立運動に動きます。宗睦と一緒になって、江戸城溜間詰〈たまりのまづめ〉の譜代大名をたきつけて、今風に言えば大名組合を作って田沼意次の追放と、松平定信の擁立に手を貸すことしたのです。
こうして、一橋治済の長子・家斉が十一代将軍になると、宗睦が定信擁立運動の先頭になり、松平定信が老中となりました。
宗睦にもフィクサーがいました。人見弥右衛門〈ひとみやえもん〉という人ですが、この人が、いろんなお膳立てをしていったわけです。
普通は、老中になるには、まず大阪城代、次に京都所司代、そして江戸城に戻って西の丸老中という順序を踏むのですが、定信は、どれも経験することなく老中になりました。大抜擢でした。
老中・松平定信のまちづくり政策
こうして、老中になった松平定信は白川藩政でやったことを、そっくり徳川幕府に持ち込んだわけです。それは、祖父の八代将軍徳川吉宗がやっていたことを自分が白河藩主として踏襲し、老人対策や公立公園を作るなど、藩、今でいう「公」が先にたって必要な都市施設をどんどん作っていくという、まちづくりの政策――すなわち、定信が、老中として江戸でやったことは、吉宗の政治を踏襲して自分が白河でやっていたことを踏襲しながら、幕政として広げていくことでした。
吉宗の時代には、「目安箱」という投書箱を作って、市民の声を聞くことによって行なっていたわけですが、その発想も継いでいます。
たとえば、池波正太郎さんの小説『鬼平犯科帳』で有名な、火付盗賊改方の長谷川平蔵の進言で、定信は、江戸湾に浮いている石川島に、初犯の犯罪者をまとめて収容する人足寄場<にんそくよせば>を作り、犯罪者を社会復帰させるための施設にしました。社会復帰するためには、腕に職が必要だ。大工であろうと、壷を焼こうと、花を作ろうと何でもいいから、人足寄場で、手に職をつけるための腕を磨け。そして、そのときに作った製品は江戸市中で安く売り、売った料金の半分は作った者の収入とし、半分は役所の費用に充てたのです。池波正太郎さんの小説『鬼平犯科帳』で有名な、火付盗賊改方・長谷川平蔵の提案で作ったもので、平蔵が担当していたのです。ですから、長谷川平蔵の本当の役職は人足寄場の所長です。
余談ですが、この松平定信を非常に尊敬していたのが、今の一万円の新札の顔になっている渋沢栄一で、『白河楽翁伝』という伝記も書いています。「楽翁」というのは、定信の院号です。普通に考えると、定信自身が隠居してから自分が楽しむという意味だと考えられますが、僕は違うと思います。「土地の住民の年寄りを楽しませる隠居藩主だよ。一緒に楽しもうよ」という立場で号したのだと思います。
恐ろしい人
一橋治済は、その定信も、やがて、邪魔になると、追い出してしまいました。そして、自分の息子・第十一代将軍の家斉が思うようにやっていいようにしました。だから、後半の、家斉は大変な将軍になってしまいました。なにしろ、側室が52人、生んだ子どもが55人です。さすがに将軍の家だって養いきれないので、男児はみんな大名家へ養子に出すという始末でした。
いずれにせよ、一橋治済は、自分の息子を将軍にするために、まずは、田沼意次と組んで、松平定信を白河藩主にしてしまいました。やがて、田沼が邪魔になったので、今度は、白河藩主の定信を、短期コースで老中筆頭にして、権限を持たせ、田沼を追放する。そして、その定信も邪魔になると失脚させてしまう。自分の野望を達成するために、遠い道だけども迂遠な策略をとる恐ろしい人です。(つづく)
より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。
このページに関するお問い合わせ
教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。