平洲塾206 “新民"は幻の民〈たみ〉か?(2)
平洲先生のことば(終) ~言われたかも知れないことを含めて~
“ええじゃないか運動”を期待したけれど
ずいぶん前ですが、ロンドンの住宅団地を見学した時、各棟に映画スターの名が付いていることに驚きました。アラン・ドロン棟、カトリーヌ・ド・ヌーブ棟のようにです。しかし、この団地でもっとも重視していたのは、“ゴミ処理”でした。
ぼくはテレビのCMをよくみます。企業の新製品の売りこみで、世の中の進化がおぼろげながらわかるからです。
いま目をつけているのは住宅の建設です。
「個人住宅の建設のすすめ」
ではなくなりました。
「まち(コミュニティ)の建設のおすすめ」です。個人住宅の集合体です。
ちょっと首を傾〈かし〉げます。まちはそこに住む人びとの討議と合意によって性格が定められます。特に「まち」の場合は“市民参加”を欠くことができないので、“まちの性格”は白紙状態におくべきだと思います。
先回、トランプさんとその支持者である“ネオ・市民グループ”の存在のことを書きました。紹介者の説明に、
「労働者を主体にした新しいグループ」という説明があったからです。しかもガリガリの保守候補者への支持です。
この選挙では、“新しい市民の政治活動”がいくつか芽生えた、という解説もありました。アメリカに限らず、フランスにもイギリスにもありました。国を問わずの現象として、年月を問わない『大学』のいう、“民を新たにする”という“個人の改革”がグループ化しているのなら、これは今までにない歴史です。
残念ながらこの件はすぐマスコミ媒体から消えました。ぼくはどこの国であろうと、日本の幕末に起こった“ええじゃないか”のような運動への発展を期待していたのですが‥‥‥。
トランプさん側のことだけで、対立者のバイデンさん側のことに触れなかったのは、“新しい市民運動”の支持というニュースが見落としかも知れませんが、バイデンさん側に見当たらなかったからです。
平洲先生が気づいたこと
ここで一つ、細井平洲先生が気づいたことがあります。
ある日、先生が木曽川沿いの道を歩いていた時のことです。中国の桂林〈けいりん〉をコンパクトにしたような林に出会いました。ガヤガヤと林の中で話し声がします。先生が立ち止まって様子を伺うと、向こうからきた人物がちょうど林の中に入るところでした。先生にとってはナジミの深い人です。中華料理店の店主・王〈ワン〉さんです。
「王さん」
声をかけますと、向こうも気がつきました。
「細井先生」。笑顔ですがちょっとタメライがありました。
「この林で何を?」
平洲先生の問いに王さんは答えを保留しました。しかし王さんにとって平洲先生は大事な存在です。少しして答えました。
「中国人の集会です。竹林〈ちくりん〉の賢人〈けんじん〉たちといっていいでしょうか。ハッハッハ‥‥‥」
最後は笑いにまぎらせました。その瞬間、先生は大変なことに気づきました。
「本当に古代中国の春秋時代のことを知りたいのなら、あの時代の追体験をしなければダメだ」
荻生徂徠〈おぎゅう・そらい〉の意見です。
徂徠のいうのは、
「孔子先生や孟子先生の言葉の意味を、本当に理解したいと思うなら、孔子先生や孟子先生と同じくらしを体験しなければダメだ」
無理難題です。しかし徂徠先生の主張に理のあることを知る学者たち(平洲先生も含む)は、懸命に徂徠先生のいうことに近づこうと努力してきました。
今、王さんに出会って平洲先生が気づいたのは、
「徂徠先生の主張を丸ごと受けとめれば、オレたちに中国人になれ、ということではないのか?」
ということです。逆にいえば、
「中国人にならなければ、本当の理解はできない」
ということです。
「日本人の良さ」に磨きをかける
若いころからズッポリ中国にハマってきた平洲先生には、徂徠先生のいうことがよくわかります。ですから『大学』のいう「新(親)民」に出会うために、両国橋の袂や尾張の農村などを積極的に歩きました。“新民”を探すためです。“新民”を「中京のルネッサンス」の心強い戦力として活動してもらうためです。
その目的は少し実りました。平洲先生の基準で、
「この人物は新民だ」
と思える人物に何人か出会えたからです。
しかし、今は落胆しています。出会った人物がすべて日本人ではなかったからです。
ここで大声をあげておきますが、
「中京における文教によるルネッサンス」
は、決して住民を中国人にすることではありません。あくまでも、“日本人らしさ”“日本人の良さ(訪日外国人が感ずる温かいもてなし)”を失わずに、そのよさにさらに磨きをかけることだと思います。
論語の“恕”も、孟子の“忍びざるの心”も、とっくに日本化しています(江戸時代から)。
新民を、
・デジタル社会に生き抜く人間
・人口頭脳と共生する人間
と考えれば、
・今の自分を改革する(改める)
・新しい自分を発見する(可能性を)
ことが必要です。
そしてこのことは、とても楽しいことです。
その方法として“恕”と“忍びざるの心”を発揮すれば、さらに誰かさんをよろこばせます。そして――“新しい心を持った頼れる日本人”が生まれます。それも中京からです。
(この項終わり)
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