平洲塾207 やさしく、わかりやすく、丁寧〈ていねい〉に
嚶鳴〈おうめい〉協議会教育長意見交換会でのメッセージ(1)
令和5年(2023年)4月21日(金曜日)に、オンラインで開催された嚶鳴協議会教育長意見交換会でのメッセージを6回にわけて掲載します。
平洲先生が辻講釈をされたワケ
細井平洲先生が、諸藩の賓師〈ひんし〉として招かれるようになった頃、ご自身の勉強のためもあり、時間をみつけては、大道芸人が集まる両国橋〈りょうごくばし〉の畔〈たもと〉、今でいえば野外大衆劇場みたいなところに通われました。
初めのうち、平洲先生は、芸人たちの話しを聞いているだけだったようですが、そのうち、ご自身でも辻講釈を始められました。芸人たちは、平洲先生に関心を持たなかったようですが、先生の姿をよく見かけるものですから、「細井平洲っていう先生は何でここに来て、毎回俺たちの話を聞いたりしているのかな?」という疑問を持ちました。やがて、先生が辻講釈をするようになると、〈細井先生の話はわかりやすい。それからやさしい。よく知っている話を素材にしてくれるから馴染み深い〉という評判も立ってきたので、「ひとつ、俺たちも聞いてみようじゃねえか」ということになり、細井平洲先生の講釈講談みたいなものを聞いたところ、話が終わるまでには、全員がこぶしを目に当てる、なかされちゃったということになりました。
つまり、平洲先生は、両国橋で、自分の話、思いが、正しく人々に通じるか、自らお確かめになっておられた(別の言葉でいえば、話しの仕方を磨いておられた)のです。
子どもたちが話しを聞く先生、聞かない先生
茨城県の筑波にある文部科学省の教員の研修センターで、二十年ほど以前から毎年、校長先生や、学年主任さんという幹部の先生方の研修でお話をさせてもらってきましたが、その時、いつも、この平洲先生の両国橋のエピソードと同じようなことをお話し、研修を終え、学校に帰ったらぜひ、部下の先生方にお伝えいただきたいとお願いしてきました。
たとえば、同じ内容の授業をする二人の先生がいたとします。
A先生が話しをすると、騒いでいた子どもたちがピタッと騒ぎをやめた。そして、終わったときには、拍手がきた。ところが、B先生がしたところ、今度は、私語が多い。あるいは、がたがたと靴音が床でする、雑音が入るという状況になった。これは、生徒が悪いのではなく、B先生の努力が足りないのです。
A先生の場合は、話を親切丁寧にわかりやすくして、難しい字や漢字を使わず、子どもたちでもわかる言葉を使ってわかりやすい説明をするという工夫をなさっている。B先生にはその努力が足りないということです。
孔子の教え
これは、皆様がよくご存知の『論語』の中にも、ひとつのエピソードとして、同じことが説かれています。
子貢〈しこう〉という弟子が、ある時、孔子先生に質問をしましました。
「先生」
「なんですか」
「たった1文字。その文字さえきちんと守っていれば、私が正しい人生を歩み通すことができるという、そういう字を教えていただけませんか?」
すごくムシのいい要望ですが、孔子先生は、お答えになられました。
「子貢よ。その字は恕〈じょ〉という字だよ」
と。
恕という字を子貢は知りません。
どういう意味なのか調べました。そうしたら、いつも相手の気持ちになって考えるやさしさと思いやりのこと、とありました。
自分にとって嫌なことは他人にとっても嫌なことだから、人の嫌がることはしないようにということですが、どうしても、しなければならない場合がある。その時は、相手が納得するように、説明が必要である。恕という一字をとっても同じで、「恕 を守れ」というだけでは駄目で、なぜそういう字を教えるのかということを、やさしくわかりやすく、丁寧に説明することが大切だ。それは取りも直さず、師としての弟子に対する愛情だよということを、孔子は子貢に教えたわけです。 (つづく)
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