平洲塾216 再考 細井平洲先生 第4回

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ページ番号1009973  更新日 2025年3月31日

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人を喜ばせる仕事をしなさい

赤門と特攻<とっこう>要員

 第十一代将軍・徳川家斉<いえなり>には側室が52人、子どもが55人いて、男児は大名家の養子にしたことを紹介しました。女児の嫁ぎ先も、たいていは大名家でした。百万石と言われた加賀藩・前田家なんかは、江戸時代を通じて、何人も将軍の娘を嫁にもらっていて、財政が落ち込んでしまったほどです。
 東京の文京区にある有名な東京大学の赤門も、家斉の第21女・溶姫<ようひめ>を前田家に迎えるために、前田家が作った上屋敷の住居の表門です。
 若いころの僕は、
 「赤門なんて、加賀百万石の前田家が将軍の娘もらうために作った門じゃないか。そんな門を潜ったぐらいで、天下の東大生だと、大きな顔するんじゃねぇ」
 って、憎まれ口を叩いていた時があります。
 というのは、戦争が終わって復員してきた時、大学に行こうと思って、青山師範<しはん>――今の東京学芸大学――に入ることにしました。ところが、教授会は入学に承知したのですが、学生たちが、「特攻隊――僕は、戦争中、予科練で、特攻隊要員でした――の生き残り、軍国教育の権化みたいな人間を入学させるなんてとんでもないことだ」と学生たちが反対した。それで、教授会が謝りに来たのですが、僕は、「学生が言っていること正しいですよ。わかりました。諦<あきら>めますから」
 と、進学を止めました。
 僕は、予科練に入って、飛行機に乗りたかったけれど、肝心の飛行機がない。これが挫折<ざせつ>。硫黄島<いおうとう>への特攻出撃も決まり、覚悟もできていたのに、八月十五日に戦争が終わって特攻もできなかった。これも挫折。青山師範(学芸大学)に入れず、戦後のスタートも挫折。挫折続きで、結局、渋谷の闇市<やみいち>の住人になってしまいました。闇市というのは違法の市場です。ここへ、通って、毎日博打<ばくち>をやって、安いお酒を飲んで、その日暮らしで仕事をしていたら、ある時、地元の都議会議員に怒られた。
 「いつまでもそんなことをやっているんじゃない。たまには、人を喜ばせることをしなさい」
 そこで、「人を喜ばせるには何をすればいいんですか」と聞くと、
 「身近な街の人を喜ばせる。あの人と知り合って良かったなという、そういう誰かさんに喜んでもらえるような仕事をやってごらんなさい」
 と意見されました。それで、目黒区役所に入ったのが、ぼくの、公務員人生の始まりです。昭和22年(1947)年、20歳の時です。
 結局、昭和54年(1979)まで、32年間、東京都の職員をすることになったのです。
 そして、平成17年(2005)に、鈴木淳雄前東海市長から、平洲記念館館の名誉館長をやってくださいという依頼があって、引き受けたところ、細井平洲先生も、
 「自分のすぐできることをやることだと、身近なところでやれることをやりなさいって。やれることをやる中身は何だというと、誰かさんを喜ばせることだよと。それをやればいいんじゃない」
 と、20歳の時に議員さんから注意されことと同じことを言っておられたことに、改めて気づいたのです。

人間の心は難しい

 閑話休題。一橋治済<はるさだ>の策謀によって、田沼意次は幕府を追放されましたが、最初に紹介したように、中国を食の国と認めて、日本の北方で獲れる魚介類を輸出して、日本の貨幣を取り戻すという、経済政策そのものは、別に悪い政策ではありませんでした。
 そこで、僕は、田沼意次の領地へ行ってみたのです。静岡県の相良<さがら>というところですが、ここは、明治維新のときに失業をした幕府直参<じきさん>が集まって開墾で食べていこうという開墾地もあったところです。6万石ぐらいの藩ですが、田沼意次は、領主になると、川に橋をかけ、道路を整備するという、今でいうインフラ整備を徹底的にやって地元産業を非常に大きく振興しています。だから静岡茶とかそういう名産品の走りは田沼じゃないかなと僕は思っていますが、地元では名君で、褒<ほ>める人はたくさんいます。
 その田沼が失脚した後、
 「田や沼や よごれし御池を あらためて 清く澄ませ 白河の水」
 と、世論の後押しも受けて老中になった松平定信でしたが、結局は、
 「白河の清きに魚も棲<す>みかねてもとの濁<にご>りの田沼恋しき」
 という、皮肉な、落首が読まれるようになりました。
 つくづく、人間の心というのは難しいものです。今で言えば、ロッキード事件で失脚した田中角栄<かくえい>さんの方が良かったなって、後になって言うのと同じかなという気持ちが時々します。(つづく)
 

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