平洲塾218 再考 細井平洲先生 第6回

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ページ番号1009975  更新日 2025年3月31日

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名誉館長として、平洲先生から学んだこと

身近なところで、やれることをやる

 

「再考 細井平洲先生」と題して、平洲先生とその時代についてお話してきました。では、平成十七年(二〇〇五)年に、平洲記念館の名誉館長を仰<おお>せつかった僕自身が、その平洲先生から何を学んできたのかということを、お話しします。
 平洲先生は、人々が、「大衆から、公衆になってもらいたい」という、住民の意識変革を教育の目的にしていました。そして、そのためには、

・身近なところで、やれることをやる。
・誰かさんが嬉しがること、喜ぶことを行なう。
 そして、
・みんながそんな気持ちになるように、みんなの気持ちを変えていく。

という積み重ねが大事だと考えておられたのではないかと、僕は考えています。
「公衆」と「大衆」はどう違うのか?
東京オリンピックの直前に、木を大事にする建築家が東京の町中にトイレを作って、「公衆トイレ」と名づけましたが、僕は、東京都庁にいた三十余年間、この問題をずっと考え続けてきました。そして、いろんな施策<しさく>をしましたが、結局、成功しませんでした。
「大衆」というのは、声の大きい人がいると、そうだそうだと一緒にくっついていく。自分の考えがない、意見がない。付和雷同<ふわらいどう>してしまう人です。どうしてそうなるかというと、情報に対して真面目じゃないからです。情報を自分の手で集めて、分析をして、どこに問題点があるのか、どうすればこの問題は解決するかという自分の意見、マイオピニオンというのを持たなければ、「公衆」ではありません。
 

言葉は平易でわかりやすく

 

江戸時代の細井先生はそれを見ていたのだと思います。
だから、両国橋に行って、落語家や講釈師や漫才師の話している中身を聞いて分析をしました。
この連載でも紹介しましたが、たとえば、「厩<うまや>火事」という古典落語があります。ある時、孔子<こうし>が留守の間に家が焼け、孔子の大事にしていた馬が焼死してしまいました。帰ってきた孔子は、馬のことよりも、馬係の人が無事だったかどうか、やけどをしなかったかどうかを、まず第一に心配した。それで、孔子の評判がより上がったという故事があります。それを江戸っ子たちは、亭主が大事にしていたお皿を割ってしまった髪結い夫婦の話にして、亭主が、女房がお皿を割ったことを責めるのでなく、奥さんがケガをしなかったかどうかをまず心配したという話に仕立てました。
「お前さん。そんなに私のことを心配してくれんのかい」
「そうよ」
「なんでそんなに私のこと心配してくれるのかい。そんなに私を愛してるの?」
「愛なんてものとは俺は縁が遠い。お前の手が駄目になったら、俺は遊んで暮らせなくなるから」というオチになっています。
落語にはオチというのがありますが、オチは、考えに考え抜いて、用意した下げというか、おかしみです。「厩火事」の話しでは、オチを通して、孔子の美談が自然に心に残るように工夫されているのです。両国橋で芸人たちのそんな話しぶり(話芸)を通して、平洲先生は、平洲先生の学ぶところが、ものすごくあったのではないかと思います。
どういうことかというと、

・わかりやすい。
・使われる言葉が平明<へいめい>で、やさしい。
・そして、日本の美談、いわゆる孔子・孟子<もうし>の教えをきちんとわきまえて、美談にしたてあげ、誰もがうなずいてすぐ納得してしまう。
・話し方もいろいろ工夫をされている。

これで行かなきゃ駄目だなと思い、平洲先生自身も、両国橋のたもとでそれを実行したのです。
その結果、平洲先生の話しを聞く人は、みんな、涙を流しました。そして、聞いた瞬間に、言わんとすることが、心の中に入っていったのです。
僕は今、平洲先生のこのような「大衆」の「公衆」化への努力が一番大事ではないかと思っています。それを、平洲先生のふるさとである東海市、尾張名古屋(中部圏)から初めてほしいし、中部圏だからこそ、やれるのではないと思っています。
中部圏を「中京」とも言いますが、中京というのは、真ん中の京という意味。西ノ京(京都)でもなきゃ東の京(東京)でもない。前者は文化と皇室の都、後者は、政治と経済の都。名古屋は、その中間でどちらにも属さないし、両方の良さも持っていて、「人づくりや心そだて」という教育・学問を純粋培養<ばいよう>できる地域ではないかと思うからです。

改革には時間がかかる

 平洲先生にもう一つ教えられたのは、改革というのは時間のかかるものだということです。二宮金次郎が「積小為大<せきしょういだい>」と言っているように、小さいことを積み重ね、大きなものにしていくのは時間のかかることです。平洲先生も同じ考えをもっていました。「身近なところで、誰かさんをよろこばせる」という小さなことの積み重ねを続けることによって、人々の意識改革、世の中が変わっていくと考えていたと思います。
 だから、平洲記念館や東海市で取り組んでおられる「まちづくり、人づくり、心そだて」への取り組みも、三年、五年、三十年、五十年、下手をすれば、百年かかるかもしれません。だから、一年や二年で、終わってはいけない。自分の代だけで全部終わらせようと思うのではなく、スパンを長く取って、少しずつ積み重ねていく、そしてやがて気がついたときは、大きな実績になっていたなというような事業を考える必要があると思います。そういう、スパン、年次の長い遠く未来まで見つめるあり方、考え方を平洲先生は、教えてくれているのであり、現代のような成果主義の時代には、一番大切な考え方だと思っています。ありがとうございました。(おわり)

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