平洲塾210 嚶鳴協議会と江戸の三大改革

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ページ番号1008297  更新日 2024年3月26日

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嚶鳴〈おうめい〉協議会教育長意見交換会でのメッセージ(4)

令和5年(2023年)4月21日(金曜日)に、オンラインで開催された嚶鳴協議会教育長意見交換会でのメッセージを6回にわけて掲載します。

 嚶鳴協議会に思うこと

 早いもので、東海市が、ふるさとの先人を地域づくりに活かす全国の市町村に呼びかけて嚶鳴フォーラムが始まって17年になります。私も呼びかけ人の一人として当初からかかわっていますが、もともとは、細井平洲先生の事績を今という時代に洗い出し、より幅広くて深いものにしていこうというのが目的でした。しかし、そのためには、東海市だけでなく、平洲先生と交流があった人々や、直接交流がなくとも、どこかで(生き方、考え方を含めて)つながっている人々の事績をたどることも一つの道ではないだろうかということで、全国の心ある自治体に呼び掛けました。個人的には、複数の自治体が集まることで掛け算の効果が出ること(たとえば、3+3は6ですが、3×3は9になります)も期待しました。うれしいことに、フォーラムを開催するだけでなく、嚶鳴協議会という協議会まで作って、市町長や教育長、行政職員、市民が一つになって、共に学び、共に考え、行動するという、それこそ、平洲先生が「嚶鳴」の名の下で目指した活動をして下さるようになりました。
 しかし、17年という歳月、なかでもコロナ禍という直近の四年間を経験して思うに、嚶鳴協議会の活動も、初心に帰るというか、原点に戻って、次の展開を考える時期に来ているのではないかと思ったりもします。
 

江戸時代の三大改革

 その意味でも、ここで、細井平洲先生が生きた時代を簡単にたどってみましょう。
 江戸時代は約260余年続きましたが、「経済」という指標で大雑把にカーブを描くと、3回の盛り上がり、すなわち高度成長期があり、その直後に今度は谷間へ落ち込む景気の不調期が来ています。
 高度経済成長期の第1回目は元禄時代(1688~1704)、2回目は田沼意次の時代(1767~1786)、3回目は文化文政時代(1804~30)です。
 この成長期の後に来た景気の不調期になると、徳川幕府は大規模な財政改革を行ないました。最初が、元禄の好景気に続く八代将軍徳川吉宗の享保の改革(1716~)。次が松平定信の寛政の改革(1787~93)。その次に、文化文政期に続く水野忠邦による天保の改革(1841~43)です。これを、江戸時代の三大改革と呼んでいます。平洲先生は、享保13年(1728)に生まれ、享和元年(1801)に亡くなっておられますから、享保の改革、田沼時代、寛政の改革という三つの大きな波の中で人生を過ごされたことになります。次回は、この三つの時代を、紹介します。 (つづく)

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