平洲塾180 江戸のノラ話(2)

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004518  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

前回紹介した江戸時代のノラ(イプセンの作品の主人公。めざめた近代女性の代表としての位置を占めている)の話を、現在の私たちはどのように受けとめ、学んだらいいでしょうか。

平洲先生は儒学者です。古代中国の孔子や孟子から学び、学んだことを人に教える立場にあります。

その観点からこの嫁姑の問題を考えますと、私は孔子と孟子の教えを思い出します。孔子の教えからは"恕〈じょ〉の精神"を。孟子からは"忍びざるの心"の思いやりを。

子貢〈しこう〉という門人がある時孔子にききました。「先生、たった一文字で生涯正しく生きられる字がありますか」。孔子は答えます。「子貢、それは恕だよ」。子貢は字引きを引きます。「いつも相手の立場に立ってものを考えること」と訳されていました。子貢はすぐ「これだ!」とピンときました。そして「先生(孔子)は凄い!」と感動しました。

"忍びざるの心"は、「困った立場にいる人に出会ったら、見ているのに忍びがたく、何とかしてあげずにはいられない」という人間の善意・衝動を言います。

平洲先生は、

  • この二つ(恕と忍びざるの心)は、人間なら誰でも持っている。
  • が、おかれた状況でそれが素直に表われたり表われなかったりする。
  • 表われるのを妨げるのは、主として先入観や固定観念(キメツケ)が多い。

と説くのです。

特に江戸のノラの場合は、

  • 姑の方に古いキメツケが多い。それをすべて正しいと信じている。
  • 一方の嫁も、そういう姑の考えを頭から「古い」と切り捨てている。なぜ古いのかを丁寧に説明しない。
  • 要するに嫁姑共、感情先行であって、理と知の力に欠けている。特に「恕」と「忍びざるの心」がない。

と告げるのです。

「姑が少しでも嫁の立場に立つ気持ちをもち、嫁も姑の古い気持ちを知る、互いに恕の気持ちを持てば」と言いながらも、その時の平洲先生はおそらく、「と私は言いますけどね、実際にその立場に立てばそんなことはできないだろうね」と話を一転させて皆を笑わせただろうと思います。そしてこの事例のしめくくりに、

  • 幸いにこのケースでは、姑と嫁の両方が互いに互いの身になったこと。
  • そして自身反省し、今の互いの立場に同情し、前より理解ある関係を生んだこと(忍びざるの心)。
  • めでたし、めでたし。

と結んだと思います。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。