平洲塾161 話し合う植物たち 平洲先生的2冊の本(3)

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ページ番号1004537  更新日 2023年2月20日

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二冊の本と、まず芭蕉との関係

二か月少し前のことですが、10月19日は私の誕生日でした。この日に、満92歳になりました。孔子の言い方を借りれば「従心(心したがう)」から20歳も上の年齢です。孔子は、「従心(70歳)になれば、どんな人間でも、思いのままに行動しても決して間違いはない」と言いました(『論語』)。しかし、これは孔子流の、優しい皮肉であって、本当は、「70にもなったら、もう人間として間違うようなことはしないはずだ」という意味だとぼくは受け止めています。30歳の時に志を立ててから、孔子は40歳、50歳、60歳、70歳と10歳の加齢がある度に、「その時の、人間としてのあるべき姿」を示しました。40歳の時はたしか「不惑(惑わない)」でした。しかし振り返ってみて、その頃のぼくはまだ若い志に燃えていて、迷わぬどころではなく、始終「惑惑(わくわく。迷ってばかりいる)」という状態でした。その後、50になっても60になっても、そして70になっても、孔子の定めた一つの目標を果たすことが、ぼくにはとても辛い事でした。今は完全に、「孔子先生、とても無理です」と悲鳴をあげています。70歳の時でさえそうなのですから、80歳、90歳になっても、その「従心」を超えるような生き方は到底できません。ぼくの場合には、「歳をとる」ということは、文字通りその意味であって、「加齢するにしたがって、逆に歳が減って行く」――つまり、若くなって行くという現象がまといつくのです。

前々回(第159回)、「今、皆様におすすめする本二冊」と題して、唐突に外国の翻訳物を二冊掲げました。しかも、その選んだ本も、「細井平洲先生と関りがある」と書きました。読んでくださる方の中には、「一体、いつになったら平洲先生との関わりが示されるのか」という不満と疑問をお持ちの方もいらっしゃると思います。そこでそのことを書きます。

本にも"不易"と"流行"がある

以前、この連載の中で、芭蕉の俳論である、「不易と流行」ということを書きました。不易と流行について芭蕉は、素晴らしい論を張っています。時は元禄時代でしたから、特に江戸や大坂の暮らしぶりは華やかで、特に"ルネッサンス(文芸復興棊)"というべき時代です。文芸が盛んでした。その中に混じって、俳句も盛んでした。

芭蕉は三重県生まれですから、大きく分ければ日本の"西方"の人だと言っていいと思います。正確には、日本中部の人というべきかも知れませんが、三重県の歴史を辿〈たど〉って来ると、必ずしも名古屋などと同じに考える訳にはいきません。上方〈かみがた〉の影響が強いような気がします。江戸方面における、弟子たちのほとんどが、時代に見合ったような華やかな俳句を作りました。それが結構受けました。心ある弟子たちは嘆きました。主に西方の弟子ですが、「あんな俳句ばかり作っていると、先生(芭蕉)の唱えておられる不易の精神が失われてしまいます」と心配しました。芭蕉は笑いました。そしてこう言いました。

「江戸の連中は、自分たちの作った流行調の俳句が、年月が経てばいずれは不易の中に含まれるようになる、というつもりなのだよ」果たして、江戸の俳人たちが芭蕉の言うような考え方で句作に努力しているのかどうかは不明です。芭蕉はそう思いたかったのです。"おくのほそ道"の帰り道に、越後(新潟県)の宿場で、遠く佐渡島を望み、見えるはずのない三ツ星が、芭蕉には確かに見えました。それが芭蕉の、「芸術家としての精神」でした。ですから、今、芭蕉が、江戸の連中に対して、「流行調の俳句も、いずれは不易の中に溶け込む」というのは、一種の希望的観測であって、果たしてそうなるかどうかはわかりません。ぼくはこの言葉の中に、ままならぬ現実のはかなさを心の底では嘆いている芭蕉の悲しさを感じ取ります。芭蕉が言っているのは、「そうなる」ことを言っているのではありません。

「そうなってほしい(期待と希望)」ということなのです。話が横道に逸〈そ〉れましたが、ぼくは92歳になって、「そろそろ読む本も選択をして、芭蕉のいう『不易』のジャンルに入るようなものにしなければだめだろう」と思うようになりました。生き方自体はいつまで経っても孔子先生の言う通りにならないのですから、せめて読む本だけでも、「なるほど、あいつらしい本を読んでいるなぁ」と思われるような物を探しました。これは、人間の気持ちとしては少し甘えがあって、「どんな本を読んでいようと、他人に知られたいと思うような気持ちは不純だぞ」と、ぼく自身のどこかからの叱責〈しっせき〉が聞こえてきます。確かに不純です。しかし、そういう外からの目線なり、感覚なりを意識しなければ、怠〈なま〉け者のぼくには最後まで孔子先生のいう「従心」に、遅ればせながら追いつくことが不可能なのです。正直に言って、今のぼくが目指しているのは孔子の「従心の状況になりたい」ということです。つまり"70歳"の時に、「あるべき姿(ぼくにとっては望ましい姿)」を目指したいのです。 (つづく)

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