平洲塾171 先祖調べ・平洲先生と尾張藩(2)

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ページ番号1004527  更新日 2023年2月20日

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秋月兄弟

細井平洲先生といえば、イコール上杉鷹山で、その上杉鷹山は日向国〈ひゅうがのくに〉(宮崎県)高鍋の藩主であった秋月家の出身だということは、多くの人が知っています。私は、平洲先生のことをもっと知りたくて、高鍋藩主であった秋月家の歴史にも手を染めています(今年の一月、『小説秋月鶴山』を上梓しました)。前回ご紹介した、秋月種茂〈たねしげ〉は鷹山と同じ頃の藩主で、しかも鷹山の実兄です。鷹山は秋月家では松三郎という名で、この兄種茂にもいろいろなことを教えられています。

江戸時代の藩主(殿様)は、期間を限って江戸城に勤務する、いわゆる「参勤」を義務づけられている他に、「妻と世子〈せいし〉(相続人)を必ず江戸に住まわせる」ということを決められていました。秋月家でもそうしていました。兄の種茂は秋月家の世子ですから、当然、江戸の藩邸に住みます。しかし、弟の松三郎も、その時の父親(種美〈たねみつ〉)の方針によって、江戸の藩邸に住んでいました。

つまり、江戸在住を義務づけられた兄種茂と、義務づけられてはいないけれど、藩主の方針によって江戸藩邸住みであった弟松三郎とは、同じ屋敷内に住んでいたのです。したがって、そうではない大名家に比べると、この兄弟はかなり親密な関係にありました。もちろん、鷹山は謙虚な人ですから、兄に教えられることが多かったと思います。

私のゲスの勘ぐりは、ふっとこんなことを思わせました。それは、「鷹山の諸種の米沢藩改革も、時には兄種茂の高鍋藩改革からヒントを与えられたことがあるのではないか?」ということです。もちろん、鷹山には平洲先生が相当細かいところまで理論ばかりではなく、その実際についても指導することが多かったと思いますが、種茂から受けた考え方や方法が、全くなかったとは言えないと思います。そいうことがあっても、平洲先生のことですから、「治憲〈はるのり〉様、それは良いお考えをお受けになられました。ご改革がさらに実のあるものになりましょう」と笑って受け止めたと思います。そのことは、大変生意気な言い方ですが、平洲先生にとっても、(なるほど、そういう方法もあるのだな)と、ご自身の広い知識の倉庫に加える様なケースを学んだこともおありになったと思うのです。

秋月家の歴史

そういうわけで、日向国高鍋の秋月家の歴史に手を染めた私は、いろいろなことを知りました。

秋月家はもともとは筑前国(福岡県)の秋月地方の甘木〈あまぎ〉(現在の福岡県朝倉市)に拠点を置いた、いわゆる"地付の豪族大名"でした。

いろいろな苦難に遭いましたが、戦国末期に秋月家の勢いを急増させ、実に領地を36万石まで支配するという、いわば大大名の位置にまで引き上げた人物がいます。秋月種実〈たねざね〉です。

そして、この種実の妻が、北九州の田原という家の出身ですが、その姉が実はお亀の方でした。これには驚きました。

お亀の方は、家康の側室で、前回色々とご紹介した尾張藩の始祖徳川義直の生母だからです。血縁的にも尾張徳川家と高鍋の秋月家とは繋〈つな〉がりがあったのです。歴史的資料から、こういう発見をした時は、私のような生業を営む者は、お尻がムズムズするような喜びを感じます。思わず、「やったー!」と一人で叫び声をあげるような事件なのです。

資料には、「秋月家の当主が江戸へ参勤に赴くときは、必ず尾張徳川家の城(名古屋城)へ立ち寄った。それは、名古屋城側の方でも秋月家の当主にねぎらいのもてなしをしたからである」とあります。また、当時でも大変高価だった朝鮮人参〈にんじん〉を、尾張徳川家では年に一度くらいの割合で高鍋へ送り届けています。これも、「両家が親密であった証拠」だと言っていいでしょう。

この発見によって、私の関心は新しく、「秋月家の歴史を、もっと詳しく知りたい」という願望に変わりました。そこで、種茂だけでなく彼の系列や、さらに言えば「秋月家とは、どういう家だったのか」といういわば、"先祖調べ"に気持ちが大きく傾きました。その結果をご報告します。

秋月家の遠祖は、中国の皇帝である漢〈かん〉の高祖にさかのぼります。高祖の子孫の後漢の霊帝の曽孫に、阿知使主〈あちのおみ〉が、大陸での乱を避けて日本にやってきたことは、歴史好きの皆さんなら知識がおありです。応神天皇の時代、阿知使主は子の都賀使主〈つがのおみ〉と一緒に、十七県の部民を率いて日本にやって来ました。そして、日本人になりました(帰化)。応神天皇は、この漢文化を伝える部族を大切に扱って、大和〈やまと〉(奈良県)の檜前〈ひのくま〉という地に住まわせ、「直〈あたい〉」の姓〈かばね〉(日本の爵位)を授けました。つまり貴族の扱いをしたのです。史上では「漢ノ直」と記されています。

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