平洲塾179 江戸のノラの話(1)
"アバタもエクボ"という古い言葉があります。ファンになると、その人の欠点なども美しく見える、という身びいきのことをいいます。コロナによる"おこもり"が長引いているせいか、細井平洲先生に対するこの癖がかなり強まっているようです。
平洲先生が尾張藩主徳川宗睦〈むねちか〉に頼まれて、「まず農村の農民たちからお願いしたい」と講話をはじめたのは天明2年(1782)のことでした。テーマはよく知られている美談や善行だったと紹介しましたが、そこは先生のことですから伝えられたまま語ったわけではありません、と私は思うのです。それがアバタもエクボなのです。余計なことですがおこもりでTVをみていると、女性がシミを気にするCMが多いですネェ。今、そんなことを問題にする時じゃなく、平洲先生のいう"非常の時"だと思いますけれど‥‥‥。
平洲先生は「わかりやすいテーマを、さらにわかりやすくやさしい表現で」話されたことはたしかです。が話の内容をちょっとヒトヒネリしたと思います。
たとえば嫁に来て姑〈しゅうとめ〉にイビられ(今はイジられ)、我慢できなくなって婚家をとび出す話があります。太宰治にも同じ話があって主人公をイプセンのノラに仕立てています。
かれの扱いを意訳すれば、(家を出る気で)ドアを閉めたあとノラは考えた。(戻ろうかしら?)。
めざめた近代女性に何とも救いのない冷水を、ザブリと太宰治は浴びせるのです。
平洲先生の話も太宰治と同じです。でもやさしい先生はドアを閉めてすぐに、戻ろうかしらなどとは考えません。実家に帰る道を相当辿ったあと、ひとりぼっちになって街道の途中で考えるのです。
(わたしが全部正しかったのかしら?悪いところはひとつもなかったのかしら)。
同じころ、姑も同じ反省をしています。
(嫁がいなくなった。おそらくわたしの厳しさに堪えきれなくなって、実家に戻ったにちがいない。わたしはしつけのつもりでやかましいことを言ったのだけど、今の若い人にはキビし過ぎたのかも)。
そう思ってあれこれ自分の言葉や行ないを思い出してみます。結果、自分がすべて正しかったとは思えなくなりました。
そうなると、今どこにいるかわからない嫁のことがひどく気になってきます。雨が降りはじめました。
(可哀想に)
ビショ濡れになったノラ猫のような嫁の姿が目に浮びます。
ここで平洲先生は反省して戻ってきた嫁と反省して過去の扱いを改めようとする姑とを再会させるのです。平洲先生がイプセンを知るはずがありません。太宰も知りません。しかし先生は近代文学以上のものを持っていたのです。
(つづく)
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