平洲塾166 ブレーン学者の特性(2)

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ページ番号1004532  更新日 2023年2月20日

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蔑視される商業と金

江戸時代、「実学」と呼ばれた学問には、「学んだことは、必ず社会の役に立つ」ということが求められたのです。その活用のされ方は、個人にとどまらず、やがては組織にまで及びました。組織というのは、「藩」のことです。全体に徳川幕府の大名家は、財政運営に苦しみました。幕府の巧妙な大名統制が効果を示していたからです。したがって、各藩(約270ありました)は、財政難に苦しみ、その再建のための、「財政改革」が共通していました。しかし、「武士は食わねど高楊枝〈たかようじ〉」といって、当時の身分制は、「商人は、自らは何も生産しない。他人(農民や職人)が作ったものを動かすだけで利益を得ている」と考えられ、それ故に社会的には一番低い身分にランクされ、同時にその行為は、「卑しいことだ」とされました。したがって、商人は社会的劣位に置かれ、同時に、「商人に税をかけるのは、卑〈いや〉しい仕事を承認することだ」という狭い了見で、商人蔑視の風潮が定着しました。

そのくせ、実生活においては、藩もその藩に属する武士も、生活上は商人に金を借りなければ二進〈にっち〉も三進〈さっち〉も行かなかったのです。矛盾です。しかし、あえてこの矛盾を、「公論理」として守り、貫き続けたのが当時の武士階級です。明治維新は、この偏狭な考えを打ち破ったことでも大きな功績があります。

しかし、武士には財政や経営の知識も技術もありません。そういう面のエキスパートを探します。学者の中で、「実学」を尊重する一群の人々がいました。細井平洲先生はその一人です。

学者は社会のフイゴ

しかし平洲先生は、「単なる金儲けのために、財政を扱うのではない。財政は経済に基づいている。経済というのは、ソロバン勘定ではない。乱れた世の中を正し、困っている民〈たみ〉を救うためにある。つまり、経世済民の理念を持たなければ、それは本当の経済とはいえない」と唱えていました。したがって、平洲先生をブレーンとして迎えた大名には、平洲先生の言う、「経世済民の理念を、自分の政治の目標とする」という考えがあります。その意味では平洲先生が親友として付き合った熊本藩の秋山玉山〈あきやま・ぎょくざん〉や長門防府の滝鶴台〈たき・かくだい〉には、学者としてそういう気持ちがあったのです。

前に書いた"類は類を呼ぶ"の言葉通り、滝鶴台も秋山玉山も、もともと、平洲先生とつながり合う要素を持っていました。要素というのは、私は、「学者における任侠心〈にんきょうしん〉」のような気がしています。平洲先生は、「学者はフイゴのようなものだ」と告げました。フイゴというのは、火をおこす器具の一つで、風を送ります。そのため、外形はあっても、中身は空です。しかし、平洲先生は「フイゴに中身があったら役に立たない。空だからこそ風が起こせるのだ」とおっしゃっていました。おそらく平洲先生は、ご自身が、「わたしは社会のフイゴになろう」と考えれておられたと思います。そう考えると、親友であった秋山玉山も滝鶴台も、人間的なフイゴをそれぞれ保持していました。秋山玉山は、学者としては、「豪放磊落〈ごうほうらいらく〉な性格」を持っていました。熊本藩主・細川重賢〈しげかた〉に仕えていましたが、玉山は学者らしからぬ言行をしばしば行ないました。そこを見込んで細川重賢が、「改革には、絶対に人材が必要だ。人材が人材を育てるのは学校だ」と言って、新しく学校を建てました。重賢は学問も深い人です。当時の共通学問は何といっても「論語」や「孟子」でした。論語は、孔子が弟子との間で行なった問答をそのまま文章にしたものです。冒頭に、「学んで時にこれを習う(実行する) また悦〈よろこばし〉からずや」から引用して学校の名を、「時習館」と定めました。重賢も、「学問はただ学んだだけでは駄目だ。実行しなければならない」と、"実行する学問"を重んじたのです。そして最初の学長に選ばれたのが秋山玉山です。玉山は、学問は深かった人ですが、行動の面でもしばしば人々の目を見張らせました。つまり奇行が多かったのです。しかし、その奇行についても玉山には、「これは、古代の賢者が行なったものだ」という理論的根拠を用意していました。嘘か本当かわりません。目を見張る人々の中には、「秋山先生は、あれを古代の賢人が行なったと言っているが、そんな賢人を知らない。おそらく、秋山先生が自分で作りだした行ないで、あてにはならならい」と疑いました。ところが、玉山には、「何とも言えないオーラ(気)があって、どうしても魅きつけられてしまう」という吸引力がありました。これが魅力でした。仲のいい人がその事を指摘すると、玉山も、「もしあるとすれば、それがわしのフイゴだよ」と笑います。 (つづく)

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