平洲塾176 知多半島の特性(2) 小さな地域から歴史を動かす

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ページ番号1004522  更新日 2023年2月20日

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知多半島の特性(2)

小さな地域から歴史を動かす

家康の母お大と久松俊勝

前回、徳川家康が今川家の人質時代、生母のお大から金品の差し入れを受けていた、と書きました。生地の岡崎城から30人余の家臣を供とし、駿河(静岡県)でもこれらの人々が仕えていましたが、何といっても屈辱の身であり、胸を張って天下の大道を歩ける身ではありません。

家康は家臣にそのことを語り、時にグチり、涙し、痛憤したこともあったに違いありません。夜ひとりになると孤立し、孤独でした。

その孤立・孤独のかれを慰め、励ましたのは、お大が差し入れ品に添えた手紙です。どれだけ家康の心を慰め、励ましたかわかりません。

そもそもお大は、今は松平家の人間ではありません。夫広忠の弱気によって追い出された身です。さらに久松俊勝に再婚させられた身でもあります。にもかかわらず、前夫との間に生まれた息子に差し入れをする、というのは相当に勇気のいることです。

が、そういう世間知をこえて、お大はそれを敢えておこないました。

このことは隣接地刈谷城にいたころからお大は知っていたに違いありません。知多半島の特性をです。半島に住む人々の気質をです。では、どんな特性でどんな気質なのでしょうか。

これもぼくの思いこみです。知多半島には、"海と共に生きる人々の自由な気風"がありました。

しかし、その気風には、「自分たちのことは自分たちで片づけよう」という、「責任の自覚」がありました。それも陸上とはちがって、「板子一枚下は地獄」といわれた海上生活にあっては、ひとりでは何もできません。他人との「協同」が求められます。まさに、"ひとりは皆のため、皆はひとりのため"という言葉が示す"ヒューマニズム(協同精神)"が必要なのです。

複数の人々が乗っておこなう海運の仕事も、沖に網を張って魚を獲る漁業も、すべて協同作業です。それを生活の源だと考える人々は、誰に教えられたわけでもなく、自然に覚えました。環境が師でした。

お大の場合は、そういう環境に生まれ育った人々が周りにいました。そして、その人々をまとめ、管理するのが夫でした。

だから、これもぼくの想像ですが、お大は夫にかくれてコソコソと、差し入れのヘソクリを貯めたり、品物を買ったりしたわけではないでしょう。堂々と夫に話し、了解を得ていたと思います。もともとが政略結婚なのです。

土地と農民の争奪が戦国合戦の実相で、女性はそのために人権を無視されて利用されます。久松俊勝は海を相手に生きていますから、その辺りの感覚がふつうの陸上生活者とは違っていたかもしれません。

「また竹千代に送りたいンですけど」とお大に相談されても、「またかよ。この間送ったばかりだろう」とイヤな顔はしません。

「わかった。もしよかったら、この間の取引で手に入れた珍しい品がある。一緒に入れてやってくれ」と応じます。お大は喜びます。天下人になると、家康は、俊勝とお大の間に生まれた息子に松平の姓を与え、四国の松山城主に任命します。

お大への恩返しです。よほどこのころの差し入れが嬉しかったからです。松平家は維新後、久松の旧姓に戻ります。家康への感謝の表明もここでピリオドを打ち、知多半島時代の久松家に戻りたかったからでしょうか。

知多スピリットと平洲先生

ぼくはこういう美談が大好きです。

戦国という荒野にも必ず花は咲きます。それも美しい花が。そのためには、やはり人がその種子を植える必要があります。

ちなみに松山城の裏には久松神社があります。また刈谷市役所の前にはお大の銅像があります。女性の像を役所の前に建てた自治体は、ここだけではないでしょうか。選挙で変わる市長の考えでその像も今はない、ということであれは、それはそれで、ぼくはいいと思います。

お大が母親としての竹千代思いを発揮したのは、久松家に行ってからです。その久松家での話をもう少し続けましょう。

夫久松俊勝の寛大さは、俊勝自身の性格もあったでしょうが、それだけではありません。俊勝が拠点とする知多半島そのものがそうさせたのです。半島の特性がごく自然にお大の行ないを許容し、応援してくれたのです。

細井平洲先生は、こういう土地に育ちました。

平洲という号は、"平島というくに"という意味です。

平島は市名でも郡名でもありません。字〈あざ〉の名です。しかし、先生にとって平島は、「国である」と思わせるほどインパクトは強かったのです。それは今まで書いた特性が、平島にも色濃くしみ込んでいたからです。

尾張藩に招かれた平洲先生は、「徳川御三家の筆頭藩に、大いに知多スピリットを吹きこもう」と奮い立っていたはずです。 (つづく)

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