平洲塾172 環境整備は"新しい器(うつわ)づくり"(1)

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004526  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

「人間は環境によってその性格が変わる」と言われます。このことは、昔も同じで、江戸時代に日本国に暮らしていた人々の性格は、ある程度、その住んでいる地域の状況によって差ができます。今でもその人の住んでいる土地によって、「地域特性」とか「その土地のC・I(コーポレート・アイデンティティ)などと言われます。言われるように、差がないようでも、かなり特性の違いが見られます。

それを育んだのは、やはり、大名家の行政のあり方によって生じたものです。このあたりの由来を、昔の人は上手い言葉で表現しました。それが、「新しい酒は新しい革袋に盛る」というものです。私はこの言葉が大好きです。地方公務員(東京都庁の職員)であった頃から、いつもこの言葉を頭に浮かべては、仕事に向かっていました。

新しい酒というのは、「新しい住民」という意味でしょう。そして、「新しい革袋」とは、その新しい住民たちが作り出した地域環境を言うのだと思います。

この言葉は非常に意味が深く、受け取り方が色々できると思います。つまり、「新しい酒(住民)」が先なのか、それとも「新しい皮(革)袋(地域環境)」が先なのか色々と解釈の仕方があると思います。

私は、歴史上、この言葉を地域に当てはめる時には、その地域の責任者(藩主と藩)が、「新しい皮(革)袋」を先に作り出したと思っているからです。

そして、「ここに住む人々には、自分が作り出した新しい環境に馴染み、責任をもって活用してほしい」という願望があったと思うからです。

細井平洲先生を考える時にも、やはり生まれ育った尾張藩の環境が全く影響しなかったとは言えないでしょう。平洲先生が生まれ育った地域は、現在、「東海市立平洲記念館」のある地域です。今は「東海市荒尾町」となっていますが、江戸時代は「知多郡平嶋村」と言いました。平洲先生は、この平嶋村から、平洲という号を考えました。「洲」という言葉は、江戸時代からよく使われましたが、古代中国からの影響で、「くに」の意味です。

ですから、平洲先生の気持として、平洲という号は、「平嶋国」という意味合いがあったと思います。それほど、平洲先生の視点はスケールが大きく、またそこで生まれ育った住民として気宇壮大だったのです。

その意味では、これは私の勝手は想像ですが、平洲先生のいわゆる"地域意識"は、生まれ育った平島村近辺だけではなく、知多半島全体、あるいは尾張藩徳川家が管理する領域一体にも及んでいたかも知れません。そして、その藩意識を元にした、「天下意識」すなわち、日本国意識にまで発展していたのかも知れません。

(つづく)

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。