平洲塾173 環境整備は"新しい器(うつわ)づくり"(2)

Xでポスト
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1004525  更新日 2023年2月20日

印刷大きな文字で印刷

細井平洲先生の、「平洲」という号の由来と先生がこの二文字に託された思いを、前回は紹介しましたが、“ヨシ(葦)のズイ(随)から天井をのぞく(小さな穴から広い空を仰ぎ見る)"という古い言葉を、歴史を見るときに、よく活用する私は、今回も、この悪癖を発揮しました。

「知多半島の古い歴史」に、もう一度目を向けてみようと思い立ったのです。

昭和51(1976)年(今から45年前)に、山川出版社から初版が出た、『愛知県の歴史散歩』という本があります。この本は、同社の書籍シリーズの一つで、愛知県だけではなく日本全国の都道府県の「歴史散歩」が出されています。山川出版社では、この「歴史散歩」シリーズの他に、「都道府県の歴史」シリーズも出版しています。正直に言えば、この「都道府県の歴史」と「歴史散歩」を、全巻わたしは揃えていますが、物を書く時の貴重な資料になっています。まず、「歴史散歩」で、「訪れる地域」を定め、次に「訪れる地域の歴史のあらまし」を、「都道府県の歴史」で、勉強します。

知多半島については、『愛知県の歴史散歩』の末尾に、「尾張散歩モデルコース」が掲げられています。その中に、「知多半島コース」があります。掲げさせていただきます。3コースあります。

  1. 太田川駅――平洲記念館――太田川駅――朝倉駅・・・知多市民俗資料館・・・朝倉駅――常滑駅・・・焼き物散歩道入口
  2. 河和駅――大御堂寺――岩吉・久吉・乙吉・頌徳記念館――岩屋寺――羽豆〈はず〉岬
  3. 知多半田駅――桐華学園本館・郷土館・・・知多半田駅――南吉の家

がお勧めコースです。この中から、「知多半島の古い歴史」を知るためには、やはり知多市民俗資料館を訪ねるのが、一番手っ取り早いでしょう。

この資料館が建てられた由来は、「名古屋南部臨海工業地帯」の造成によって、これまで半島住民の生計を支えて来た、浅海漁業に終止符が打たれました。このとき、地元老人クラブ(おそらく、生計を漁によって立てていた人々)の人たちが、「われわれが生きてきた証を、そのままこの世から消してしまうのは惜しい、また嫌だ」という素朴な感情が、「漁業に関する資料の分散を防ごう」と合意して、朝倉だけではなく、遠く篠島・木曽岬村(三重県)などからも、資料を集めて造った記念館です。資料館創立の由来から、「この辺りで行なわれていた浅海漁業の道具類」が、多く展示されています。つまり、この地方は、海に接近しているため住む人々が、「漁業によって暮らしていた」ことを物語る歴史資料館なのです。 (つづく)

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

教育委員会 平洲記念館
〒476-0003 愛知県東海市荒尾町蜂ケ尻67番地
電話番号:052-604-4141
ファクス番号:052-604-4141
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。