平洲塾160 平洲先生的2冊の本(2)

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ページ番号1004539  更新日 2023年2月20日

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この本の効果的な読み方

この本の読み方を翻訳者である遠山明子さんが次のように分析しています。

  • 肩の凝〈こ〉らない旅行ガイドとして読む。
  • 読書ガイドとして読む。
  • 失恋したり、自信を失って落ち込んでいる人へのスランプから抜け出す方法を読み取る。
  • 恋愛小説として読む。

などの要素がこの本にはたっぷりと込められていると告げます。しかし、そういう読み方以上に私は、「新しい生き方の道標〈みちしるべ〉として読む」という学び方をしました。もちろん、書店に改造した船で、まずセーヌ川、それからローヌ川を辿〈たど〉ってパリから南フランスを目指す川の旅の描写は、まだ見たことのない外国の自然の姿を目の当たりにしたようで、心をそそられます。そして、喧騒〈けんそう〉の巷〈ちまた〉である大都市から逃れて、古い美しさを残した漁村・サナリーというところに辿〈たど〉り着いた後の描写は、都会生活でギザギザになった私たちの心を、どんなに慰めてくれることでしょう。私がもちろん、(そういう所へ行ってみたいな)と思う以上に、読者のおそらくすべてが、「まだ、地球上にそんな労〈いた〉わりに満ちた土地があったのか」と、憧憬〈しょうけい〉の気持ちを持たせる描写がたっぷりと漲〈みなぎ〉っています。

「読書ガイドとして読む」というのは、前に書いたように、この書店主が、実に広く深い知識を持っていて、どんなに厚い本の一隅に書かれたことをも、この人はすぐ、「そのことはナニナニという人が書いた、ナニナニという本の何ページにある、こういう文章が示しています」と、たちどころに答えを出すからです。小説であれば、主人公たちの人間の真理を正しく読み込んで、「主人公は、おそらくこういう理由で、ああいう行動をしたのだと思います」と、ピタリと納得できる分析もするのです。書店主は、ただそういう知識を述べるだけではなく、「いつ読めばよいか」と、その本を読む時間帯まで教えます。悩んでいる人に対しては、「これを読むといい。ただし毎朝三ページ。朝食の前に読まなければだめだよ」といいます。それは書店主にとって本を読むということは、「新しい体験を経験すること」だからです。つまり、「この本を読むことは、君の新しい体験になる。つまり、その日の君にとって、まず最初の体験にしなければ意味がないのだよ」と告げます。おそらくこんなことまで細かく指示されれば、人によっては、(本屋のくせに、そこまで一々注文を付けるな)と思うでしょう。

書店主も常に学び続ける

なぜなら、翻訳者の示したこの本の読み方の最後に、「この本は、生と死と再生の物語です。ですから人生の糧〈かて〉としてこの本を読む方法が最後の読み方です」という意味のことを書いています。私は、自分の塾で学びたいと言ってやって来た門人たちに対しての平洲先生の指導の仕方は、おそらくこの書店主と同じようなものではなかったかと思っています。基本的には、「来るを拒〈こば〉まず、去る者を追わず」ということを守り、つまり来る者はいつでも戸を開けて待っている。しかし、こちらの教えに飽き足らなくて違う指導者を求めて去って行く時には、それを決して止めない、本人の自由に任せるというような広い気持ちを持って接する態度がまず、平洲先生と書店主にオーバーラップします。そして、相談された事にたいしては、必ず船のどこかに並べてある本の存在を示し、さらにその本の中のページを開いて、「ここに書いてある」という示し方も、そのまま平洲先生の指導方法ではなかったでしょうか。つまり、「その悩みは、こうすれば治るはずだ」というような、押しつけがましい指導を平洲先生は決してしなかった、という気がするからです。

水上旅行の途中で、書店主はそれまで(二十年の間)自分の心がもやもやして、必ずしもこの旅路も目的を持っていなかったことを悟り、ある日、「そうだ!」という一つの悟〈さと〉りに到達します。そしてその悟りに向かって、行動を凝縮し、一本化して船を走らせます。その内容は、一種の種明かしになるので、ここではバラしません。しかし、その目的とするところが、「悩む人に目から鱗〈うろこ〉の落ちるような新しい生き方」を示していることも確かです。翻訳者は、「急いで読む必要はありません。ゆっくり時間をかけて読んでください」とあとがきに書いています。実をいえば、私もこの本を読むのにかなりの時間を使いました。専念できる時間が無く、他の用事に追われることが多かったからです。でも、いつもこの本の事が気になりました。そして他の仕事をしている時も、「早くあの本の続きを読みたい」と思い続けたことも確かです。その気持ちの底には、「そうしなければ、平洲先生に申し訳ない」と思っていたからです。書店主と平洲先生とを重ねて考え、「親切で温かい平洲先生の指導を受けながら、キチンとそれを受け止めていない」という自責の念に追いまくられていたのも確かです。

翻訳者は、「いい時間を過ごせたな」と思って戴〈いただ〉けたら幸いですと、謙虚に結んでいます。しかし、私にとっては、「いい時間を過ごせたな」というどころではありませんでした。それどころではなく、「また新しい生き方を教えられたな」と、一つではない沢山〈たくさん〉の教訓を学んだ気がしました。もし、ご関心がある方に御一読をお勧めします。

もう一冊の、『樹木たちの知られざる生活』という本は、森林の一本一本の樹が、それぞれ生命を持ち、他の樹との共同生活を営んでいる、という前提で、「木のコミュニティーと、その共同生活ぶり」を書いたものです。私は驚きました。その驚きを次回に書かせていただきたいと思います。 (つづく)

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