平洲塾142 落語になった将軍の後継者争い

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ページ番号1004557  更新日 2023年2月20日

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八代将軍を誰にするか

江戸幕府の七代将軍・徳川家継〈いえつぐ〉が亡くなったとき、「八代将軍を誰にするか」ということで、紀州〈きしゅう〉徳川家と尾張〈おわり〉徳川家で大変な争いが起こりました。結果的には、紀州徳川家が勝利します。これは、巷間〈こうかん〉では、「尾張藩の江戸家老が、紀州藩の政治工作に後れを取った」からだといわれています。
この事件は相当有名だったらしく、落語にまでなっています。江戸の鍛冶屋〈かじや〉がトンテンカン(天下取った)と鉄を叩〈たた〉く過程で、熱い鉄の塊〈かたまり〉を水の中に入れます。水はびっくりして音を立てます。その音が、「キシュウ、キシュウ」だったと言われます。つまり鍛冶屋の鉄の鍛〈きた〉える過程で、熱い鉄塊を入れられた水でさえ、「紀州、紀州」と予言したというのです。
この時の将軍の相続問題は大変ややこしいことになっていました。六代将軍家宣〈いえのぶ〉には実子(のちの家継)がいましたが、幼少で病弱でした。そこで、家宣は、(こんな幼い将軍では、国政の行く末が心配だ。やはり、次の将軍は、ある程度年長でしっかりした人物になってもらいたい)と、密かに考えていました。そこで、ブレーンだった学者の新井白石〈あらいはくせき〉を呼んで自分の考えを話し、「自分は、尾張の吉通〈よしみち〉が適任だと思うがどうか?」と訊〈き〉きました。白石は、「それでは筋がたちません。どのようにお年が若く、やはり、直系の家継さまがご相続なさるべきです」
「では、家継を将軍にするとして、吉通を家継のあとつぎにして、政務を吉通にさせたらどうか」
「吉通様は、神君(家康)のお血筋を考えると、玄孫〈げんそん〉(孫の孫)に当たられます。紀州には曾孫〈そうそん〉(孫の子・ひまご)の吉宗様がおられますので、それも如何〈いかが〉かと」と強く反対しました。玄孫より曾孫の方が一代家康の血が近いということです。
こうして家宣亡きあと家継がわずか4歳で7代将軍になり、白石らが補佐することになると、このことを楯〈たて〉にして、江戸の藩邸では、水面下でそれぞれ猛工作が行なわれました。とくに紀州藩が熱心でした。老中などの重職や、あるいは大奥の実力者たちに働きかけて、何とかして次の将軍に成り上がろうとする工作です。

水音さえも“キシュウ・キシュウ"

世間で、「尾張は紀州に後れを取った」と言われるのには次のようなこともあったそうです。
幼い将軍家継が危篤になりました。正徳6(1716)年の4月のことです。そのため、幕府の重職は御三家に対し、「急いで登城していただきたい」と告げました。この時、御三家は、尾張徳川家が継友〈つぐとも〉(吉通は正徳3〈1713〉年に他界していました)、紀州が吉宗〈よしむね〉、そして水戸が綱条〈つなえだ〉でした。知らせを受けて、それぞれ御三家では藩主の登城準備に大わらわになりました。ところが、尾張藩邸ではただ騒ぐだけで、乗り物の用意もなかなかできません。そのため、業〈ごう〉を煮〈に〉やした継友は一人で馬を飛ばしました。慌〈あわ〉てた家臣がその後を追いました。この光景を江戸の市民たちは笑って見ていました。ところが、紀州の吉宗は、十分時間をかけて前もって準備していたので、供〈とも〉の人数も普段より多く、また江戸家老が二人とも供をするという落ち着いた登城ぶりなので、江戸っ子たちは行列を見て、「これは紀州様の勝ちだな」と囁〈ささや〉き合いました。
遅れてやって来た尾張継友たちが揃〈そろ〉うと、老中は、「紀州様だけお残りあるように。将軍後見職をお願いすることに相成った」と告げました。この辺はおそらく紀州家の江戸家老たちの政治工作です。そうなるように仕向けていたのです。この辺〈あたり〉は生臭〈なまぐさ〉いやり取りが十分行なわれたと思います。尾張の継友は、相当な不安感を持ちながら城を下がりました。登城する途中で、継友は鍛冶屋に出会いました。作業中の鍛冶屋が、トンテンカンと鉄を鎚〈つち〉で叩〈たた〉く音が、この日だけは、「テンカトッタ・テンカトッタ(天下取った)」と聞こえ、馬上でにんまり微笑みました。しかし、下城するときには、前に書いたように焼けた鉄を水に浸す音が、“キシュウ・キシュウ"と聞こえたと言います。そのため継友は、(やはり次の将軍は吉宗か)と落ち込んだと言われます。将軍相続問題に、江戸の市民が落語でからかうなど、すでに将軍のステータスが相当下落していたと言えるでしょう。継友は、落ち込んだまま死んでしまいます。
(つづく)

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