平洲塾158 不易流行のこと(3)

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ページ番号1004541  更新日 2023年2月20日

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“おくのほそ道"の現実と理想

松尾芭蕉に戻りますが、この「不易と流行」について、大きな例があります。それは、芭蕉が“おくのほそ道"を辿〈たど〉った時のことです。従者(供)がいました。曽良〈そら〉という門人です。“おくのほそ道"は、この旅から数年後に芭蕉が書いた文学作品です。そのために、後世の研究者たちが読むと、「事実と違うのではないか?」とか、「この日に、こんな事実は無かったのではないか?」などというような疑問が出されています。

その通りなのです。それを証明するのが、この旅の供をした曽良の、『随行日記』です。随行日記で曽良は、「その日居た場所・日時・天候・会った人・作った俳句など」を細かく記録しています。記録ですから、嘘〈うそ〉ではありません。事実を書きつけたものです。そしてこの事実を書きつけた曽良の日記と、芭蕉がその日に詠〈よ〉んだ俳句の背景・状況とは、大きく異なることもあります。

一番わかり易い例が、山形県から日本海沿いに新潟県に下り、新潟県の出雲崎〈いずもざき〉というところで詠んだ句のことです。芭蕉は日本海の彼方〈かなた〉に浮ぶ佐渡島を見てこう詠みました。

荒海や 佐渡に横たふ 天の川

誰もが知っている有名な句です。名句です。

しかし、この日の曽良の『随行日記』を見ると、この日の天候は雨です。この日だけでなく、前日も翌日も雨でした。雨の日に、天を流れる天の川の星が見えるはずがありません。また、後年、天文学者の説明でも、「出雲崎から佐渡を見て、天の川が天を流れる光景はあり得ない」と言われています。しかし曽良の日記も、学者の意見も云ってみれば、「現実の説明」です。

芭蕉には常人に見えないものも見える

はっきり言って、ぼくは、雨が降っていようとも、また、科学的には見えるはずのない現象でも、芭蕉には、天の川がきちんと見えたと思っています。なぜ見えたのか。それが芭蕉の、「芸術家としての精神の目」なのです。ここには明らかに、芭蕉と曽良との間における、「芸術家と、非芸術家の鑑賞眼(世の中を見る目)」の差があります。

つまり、常人であれば絶対に見えるはずのない佐渡島の上空に、芭蕉ははっきりと、キラキラと輝き川のように流れる天の川の姿を自分の目で見たのです。だからこういう俳句を詠んだのです。

これが、俳聖と呼ばれる芭蕉の優れた点でしょう。だから芭蕉にすれば、現実というものはいかにつまらないものであり、それをそのまま受け止めれば結局は世の中もつまらなくなってしまいます。そこに芸術家的な目を注いで、この宇宙にも違ったスタンスを持って接すれば、まだまだいろいろな発見があるということではないでしょうか。

平洲先生の講話が、ほとんど学問もなく知識も無い人々の心を打ったのは、こういう、「温かく優しい世の中の見方・人間の見方・自然の見方」などについて、いろいろとヒントを与え、教えて下さったからではないかと思っています。 (この項おわり)

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