平洲塾156 不易流行のこと(1)

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ページ番号1004543  更新日 2023年2月20日

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平洲先生の゛誠の心゛

前回で、「マイクの無い時代に、細井平洲先生の話を聴く人々が、数百人もいて先生の肉声を聴き、感動することが可能だったのだろうか?」という、子供じみた素朴〈そぼく〉な問いを自分に向けました。そして僕なりに、「たとえ、マイク(広い意味で科学設備)がなくても、先生の話は人伝に口コミで真意が伝えられていったためだ。それは、先生の風度〈ふうど〉がそうさせたのだ」というような意味のことを書きました。風度というのは、「他人に、そう思わせる“らしさ"」のことを言います。日本人の習癖に、「何を言っているのか」ではなく、「誰が言っているのか」というのがあります。同じことを言っても、自分が好きな人間だとすべて肯定し、嫌いな人間だとすべて否定するという癖です。だから、同じことを言っても、「あの人が言うことなら間違いない、正しい」と肯定しますし、嫌いな人が言うと、「どんなにいいことを言っても、あいつの言うことなら絶対に信用しない」という習性が、現代の進んだITあるいはAIまで飛び出すような世の中でも罷〈まか〉り通っています。

江戸時代も同じです。平洲先生には、多くの信奉者がいて、そういう気持ちを持つ人々は、「平洲先生のおっしゃることなら、絶対に間違いない」という、信仰に似た敬愛心を持っていました。だから、先生の話は、どんな細かい事や隅々までも人々は聞こうとして、耳を立てたのです。もちろん、「お説教はごめんだ」と、頭から“講話"を嫌がる人もいたに違いありません。しかし残された記録によれば、「平洲先生の講話には、みんな涙を流して感動した」と書かれている部分が多いのです。これは、もちろん、平洲先生の人格や人柄を表す“風度"にもよるのですが、もう一つ大切なことがあります。それは先生のお話の底に潜む“真理"のことです。それがあるがために、先生自身が、「自分で話すこと」を信じていたし、その信じる姿勢がそのまま風度となって、先生の身体からオーラとして発散されました。人々が涙を流したのは、まず、そのオーラに心を打たれたからです。先生のオーラというのは、「決して嘘〈うそ〉を言わない誠の心」のことです。一語一語が、すべて“誠"の塊〈かたまり〉となって、聴く人々の心打ったからです。どんな話をしても先生の講話の底にはこの“誠心"がデンと坐〈すわ〉っていました。人々はまずそのデンと坐った誠の心に衝撃を受けます。言ってみれば、ボクシングのアッパーカットを食らわせられたような思いをするのです。そのまま、後の話を待ち続けます。

こう書きながら、ぼくはふっと、元禄時代に俳聖といわれた松尾芭蕉の、「不易〈ふえき〉と流行」という、俳論を思い出しました。そして、(平洲先生の話にも、この不易と流行の論があったのかもしれない)と思いました。そこで今回はこのことを書かせていただきます。

流行もやがては真理に

松尾芭蕉の「不易と流行」という俳論は、いろいろな解釈があります。ぼくはそれらの先学の研究結果を学ばせていただきながら、次のように考えています。

不易というのは言うまでもなく、「どんなことがあっても変わらないもの・また変えてはならないもの」のことをいいます。流行というのは、「世の中の変化に応じて、それに即時的に対応するような現象や表現」をいいます。この解釈によって、どちらかといえば「不易」の方に重い意味があり、世の中でも尊重されます。逆に「流行」の方は、「その時の世相に阿〈おもね〉るもの・一過性のもの」として、軽んじられます。元禄というのは、文化が盛んな時代であり、特に文芸面で輝いた作品がいろいろと出ました。俳句もその一つです。そしてその俳句にも、ここに書いた、「永遠性のある作品」と、「一過性ですぐ忘れ去られてしてしまうもの」の二つに分かれました。芭蕉の門人も多数いましたが、やはりこの現象がはっきり現れました。江戸にいた宝井其角〈たからい・きかく〉などは、どちらかと言えば、「世相に見合った華やかな俳句」の作り手であり、琵琶湖畔にあって芭蕉の住んでいた幻住庵〈げんじゅうあん〉の跡を守った内藤丈草〈ないとうじょうそう〉などは、芭蕉が追求した「俳句におけるわび・さびの世界」に、忠実に生きた俳人だと思います。

何の世界でもそうですが、普通の指導者だったら、真実を追求する「不易」を教え、「一時的な現実を追う流行の世界に迷ってはならない」と告げるでしょう。ところがぼくの浅はかな解釈ですが、芭蕉は違いました。ぼくは芭蕉は、「不易も流行も大事にしていた」と思っています。但し芭蕉の両者肯定論は難しくて、次のような意味合いがあると思っています。

「たとえ流行の句を作ったとしても、年月を経ればその句はいつの間にか流行の世界から抜け出て、不易の世界に溶け込んで行く」ということなのです。 (つづく)

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