平洲塾152 人見弥右衛門〈ひとみやえもん〉の改革戦略

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ページ番号1004547  更新日 2023年2月20日

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平洲先生の廻村講話は、短時日で思わぬ効果を起こしました。
今、藩内の各村々では、「平洲先生の講和に感動して涙が出た。今まで自分が間違っていたことがよくわかった。心を入れ替えて明日から一所懸命他人のため村のために働こう」という藩民が続々増えています。改革責任者の人見右弥右衛門〈ひとみやえもん〉は一驚しました。
「これは事実か?」と目を見張りました。もちろん、「さすが平洲先生だ」と、平洲先生に藩民の気持ちの入れ替えを頼んだ自分の、“眼の確かさ"が、決して間違っていなかったことにも自信を持ちました。同時に、人見も同じ学者ですから、(同じことを話しても、自分が村を廻ったのでは決して平洲先生の様な反響は得られなかっただろう)ということもよく知っています。
人見は謙虚で誠実な学者です。ですから、出来ないことを平洲先生が成し遂げたことに、羨望〈せんぼう〉の念やあるいは嫉妬〈しっと〉の念を持つことなど全くありません。素直に驚異の気持ちを持ったのです。しかし改革の推進上、平洲先生にお願いした、「藩民の意識改革」の成果が、どの程度上がっているかも把握しなければなりません。平洲先生の、「遠い村の藩民の意識改革が、逆流して名古屋城の役人たちの気持ちにも変化が起きています」ということは事実でした。上層部はまだよくわかりませんが、少なくとも中から下にかけての身分の低い連中の間には、明らかに今までと違った空気が湧き立っています。やはり現場に近い人間ほど、藩民の喜怒哀楽を知っていますから、共感するところが多いのでしょう。
あるいは、その共感する気持ちを持っていても、今までの名古屋城内の上の方では受け付けないので、下級役人たちはそのことに不平不満を持つと同時に、いつまでも上が動いてくれないために、半ば諦めていたようなことがあったのかも知れません。
それが、民〈たみ〉の方が先に意識改革を済ませ、それを一つの武器として城に向かい、「改革をこういうようにお進めください」と、自分たちが現場で考えた案を提出しはじめたのです。本当をいえば、これが人見弥右衛門の狙いでした。つまり、

  • 藩民の意識改革を平洲先生にお願いする。
  • 平洲先生の教えによって意識を変えた藩民たちの気持ちが、集まって協同して一つのパワーとなり、名古屋城を揺り動かす力になってほしい。

という狙〈ねら〉いがあったのです。俗な言葉を使えば、城の中の改革意識を持つ武士と、藩民の意識改革との間とは手を組んで、まだ昔のように“チンタラチンタラ"ただ城に来るだけで、仕事はしないでブラブラしているような怠け者の役人に鉄槌を下す必要があったからです。 (つづく)

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