平洲塾155 素朴な疑問 その2 マイクの代わりに風度が活躍

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ページ番号1004544  更新日 2023年2月20日

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私が細井平洲先生について考え、疑問を持ったというのは、前回書いた全国市長会での講演の経験と同じことなのです。つまり、記録によれば平洲先生の講話には、「数百人(多い時は数千人)集まって聴いた」と書き残されています。私がまず素朴に疑いを持ったのは、「マイクも拡声器もない時代に、一体そんなに多くの人々のすべてが、平洲先生の肉声を聞くことができたのだろうか?」ということでした。

もっと突っ込めば、平洲先生の講話が行なわれるということを村の庄屋さんや名主さんが告げたとしても、その村の人々の全てが、「平洲先生のお話を前から聞きたかった。嬉しい出来事だ」と思う村民は、必ずしも全てではなかったでしょう。中には、平洲先生が好きとか嫌いとかではなく、「そういう説教じみた話は真っ平御免だ」と、頭から先入観や固定観念で、いわゆる“ためになる話"に嫌悪感を持っている人もいたでしょう。そういう人たちに、「平洲先生の話は違うぞ、仕事を休んでぜひ聴きなさい」と、主催者の方は説得するでしょう。それに従う人もいれば、あくまでも自分の固定観念にこだわって、「いや、聴きたくない」という人もいたに違いありません。こういう疑問に対し、それでも記録に残っているように、「500人の人々、あるいは1000人の人々がみんな感動して涙を流した」という事実は、決して誇張や嘘ではなかったと思います。私は、記録にある通り多くの人々がみんな「涙を流した」という事実を文字通り行なったと思います。どうしてそんなことができたのでしょうか。あるいは起こったのでしょうか?

私は自分が市長会で話した、「感動した少数の人の拡散作用によって、その人数が増えて行った」ということが、そのまま平洲先生の場合にも行なわれたと思います。これが平洲先生の偉大なところであり、同時にまた平洲先生の発するオーラ(気)が、反対する人たちも巻き込んでしまう(吸い込んでしまう)力になっていたのだと思います。それほど平洲先生のお話は、まず、すぐそばで肉声を聞いている人々を感動させ、感動した人々は、「このお話は、自分だけが独り占めにする訳にはいかない。もっと他の人々にも知らせるべきだ」という、責務感を生まれさせるのです。このことは、私がよく聴き手にお願いする、「ご自身の風度を高めてください」ということにつながります。風度というのは、他人が、「この人の言うことなら、やる事なら絶対に間違いない。だから、信頼してこの人の言うこと、やることに協力しよう」と思わせる、発信者自体の“らしさ"のことです。平洲先生の声がたとえ聞こえなくても、その場にいた人々が家に帰ったあと、平洲先生の真ん前でその肉声を聞くことができた人と同じように、感動し、「いいお話を聞いた」と思うのは、間違いなく、平洲先生の発する“風度"に影響されたからだと思います。

ということは、まずひとりひとりが、「普段この村の人びとは、自分のいうことを信用してくれているかな?」と振り返ります。つぎに、「自分が提案したことに協力してくれているのかな?」と問題をかえて考えてみます。

  • 協力してくれている時は、話も信用してくれている
  • 協力してくれていな時は、話も信用していないからだ

という結論が出ます。そして、

  • 信用してくれるのは自分の“風度"が高いからだ
  • 信用してくれないのは自分の“風度"が低いからだ

と感じます。「風度が低い」と自覚する人も二つに分かれます。

「自分の徳がうすいから風度が低いのだ。これは持って生まれた性分なので、どうしようもない」と諦めしまうのが一つ。もう一つは、「よし、低い風度をもっと高めよう」と、自己努力にいそしむ人です。

わたしは尾張の村民は後者が多かった、と思っています。そしてそうさせたのが、「平洲先生の風度」だったと思うのです。一種の超能力的現象ですが、これが、「マイクがなくても感動は伝わった」という現象の主因だと思っています。

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