平洲塾136 やむにやまれぬ市民交流(2)

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ページ番号1004564  更新日 2023年2月20日

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平洲精神の商人化

「棒杭〈ぼっくい〉の商い」を最初に考え出したのは、米沢の商人たちだと思います。それも興譲館〈こうじょうかん〉で学んだ人たちが中心になり、「われわれも他の地域に負けないような、美しい商業行為を生んでみようではないか」ということになったのでしょう。そこである人が思い切って、「われわれが品物の側にいなくても、買う人がきちんと定価を払って行くようなしきたりを生もうじゃないか」というようになったのだと思います。ですから最初はかなり冒険でした。それは、「そんなことをすれば、不正直な客がみんなただで品物を持って行ってしまうぞ」と危惧〈きぐ〉を口にする仲間もいたからです。いただけでなく、実際に最初はそういう不心得な客がたくさんいました。そのため商人たちは大損害を受けました。言い出しっぺの商人をみんなが攻撃しました。
「おまえが余計なことを考えるから俺たちまでこんな大損をしたぞ。どうしてくれるんだ」みんな迫ります。言い出しっぺの商人は、「みんなの損害はおれが弁償するよ。しかし、おれは諦〈あきら〉めない。あくまでもこの棒杭の商いを成功させてみせる」と頑張ります。かれは、興譲館の熱心な門人でした。ですから、「平洲先生から教えられたことを一旦はじめた以上、少しぐらい損が出たからといってやめるわけにはいかない。この教えは素晴らしいことだ。実現したら、米沢の名も一挙にあがる」と考えていたのです。こういう考えは、平洲先生にとってとても嬉しい事でした。先生は、武士だけでなく農工商三民もすべて、「恕〈じょ〉の心(他人の立場に立ってモノを考える優しさと思いやりのこと)を、すべての人が持ってくれればこんな嬉しいことはない」と考えていたからです。興譲館の校名である「譲〈じょう〉を興〈おこ〉す」ということはそういうことなのです。他人に何かを差し出す以上は、当然その人の困窮状況の立場に立ってものを考えるから何とかしてあげようという決意を生むのです。これは孟子〈もうし〉の言った゛忍〈しの〉びざるの心゛にも通じます。忍びざるの心も、「他人の危難を見れば、何とかしてあげなければいけないという衝動的な心が起る」ということです。孟子はこの、「衝動的な心」を“忍びざるの心"と称したのです。つまり、「他人の困っている状況は見るに忍びない」と感じ、即座に救助の行動に出るということです。その行動の動機づけ(モチベーション)をかれは“忍びざるの心"と命名したのです。

恕の心が嫌でも交流する

“棒杭の商い"を発想した商人も、興譲館で学んだ意味をそのように受け止めました。つまり、「学んだことを、自分が今いる場所で、やっていることの中で活用する」ということです。商人の事ですから、体系的に学問を学んだわけではありません。また、知識もそれほど広くはありません。しかし、「物を買ってくださるお客さんの心」になることはできます。その時に“棒杭の商い"を考えたのは、単に客を試すということだけではありません。商人が立ち会って物を売らない以上、当然そこには労力と費用の省略があります。したがって、売る品物は当然、「そういう物を差し引いた正当な対価」にしなければなりません。つまり、普通の価格より安くするということです。だから商人にとっては、普通の価格より安くした分と、あるいは、「品物をただで持って行かれるかもしれない」ということの危険負担があります。商人の方も、いいことをするからといっていいことずくめではありません。かなり、「不安に満ちたハラハラ心理」にならざるを得ないのです。しかし、そういうような不安と疑心とを承知の上での一種のベンチャーが、この“棒杭の商い"の実験なのです。こういうようないろいろな心理的な不安を抱えても、しかし米沢の商人たちは踏み切りました。地元の産品だけではなく、客が欲しがるいろいろな品の中には他国からの輸入品もあります。これには他国の商人が絡〈から〉みます。したがって、“棒杭の商い"を実行する過程においては、こういう、「他国の人々の了解と承認」が必要になります。了解と承認を得るためには、「何のためにそんなことをするのか」という目的のわかり易い説明が必要です。ぼくは、こういう商人たちの寄合における、実行者の説明と説得の中に、「平洲先生の教え」が、生き生きと力を発揮したのだと思います。これが平洲先生の望む、「実学の本領」を示すものでしょう。興譲館の校舎を離れて、野外の広場で商人たちがケンケンゴウゴウ・カンカンガクガクと論議する光景は、そのまま、「平洲実学の結実」だったに違いありません。そしてこういう段階では、もはや鷹山率いる米沢城の武士たちも、もっといえば平洲先生も介入できません。明らかに、「市民同士の論議と合意」なのです。

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