平洲塾126「大衆から公衆へ(1)」
大衆から公衆へ(1)
私的趣味を公的共同に
現在いろいろな自治体でおこなっている「生涯学習」の中に、生け花とか焼き物の焼き方という科目があって、結構これのニーズ(需要)が高いのは、やはりそういう面に生きる喜びを感ずる人々が多いことを物語ります。しかしぼくは、厳しいかもしれませんが、「こういう科目は、本来、『自分の趣味』に属するのではないか」と考えています。ですから今まで、ぼくはこういう傾向を、「税金をそういうことに使うのはあまりよくないのではないか」と考えてきました。縦割りの趣味は、それぞれが自分で費用負担をして技術を身につけるべきだと考えてきたのです。このごろはちょっと変わりました。それはやはり、細井平洲先生が、両国橋で講釈をしていたという事実に基づきます。このことをぼくは何度も考えました。つまり、「平洲先生は、両国橋の庶民相手の講釈でなにを期待されていたのだろうか」ということです。平洲先生のことですから、「自分の学説を優しい言葉でわかりやすく語って、武士だけではなく庶民にも理解してもらおう」という意図があったことは確かだろうと思います。しかし、それだけではないでしょう。最近の世界各国にあらわれている民衆行動を見ていて、ぼくはある日、思いあたりました。それは、「平洲先生は、この民衆行動の底にあるパワーの源に注目されていたのではないか」ということです。平洲先生が相手にする聞き手は、主として長屋の八っつぁん熊さんですから、これはいわゆる庶民です。社会用語でいえば大衆です。大衆の特性は、「他人の言うことにすぐ付和雷同する」ということです。ですから大衆は別な言葉でモブ(群衆)と呼ばれます。これに対し、
- 諸現象に対し、自分なりに情報を集める。
- その情報を解体し、分析して中に潜んでいる問題をつまみ出す。
- 問題点について、どうすれば解決できるかを自分なりに考える。
- 考えた結果、いくつかの選択肢を用意する。
- その選択肢の中から一番いいものを選び出す。
- そして実行する。
これがいわゆる「公衆」と言われる人々の思考プロセスです。ですから大衆と公衆の分かれ目は、「自分で意見を形成する力があるか、ないか」ということだろうと思います。
両国橋の講義は市民の意識改革
平洲先生が両国橋に立って自分の学説を話したのはきっと、「大衆である江戸庶民の意識を、公衆にまで高めよう」ということではなかったかと思うのです。
では、なんのために平洲先生がそういう意図を持ったのかということが次の問題です。恐らく先生は、自分の学塾に通ってくる人々の程度と、実際に長屋で暮らしている庶民たちの程度をいろいろな面で比較します。結果としては、庶民の長屋の八っつぁん熊さんの方が身分上も、実生活の上でもいろいろと苦労が多いわけです。しかし、「それを引き上げるためには、庶民自身の意識改革が必要だ」と、平洲先生はお考えになったのではないでしょうか。ヒューマニストである平洲先生が、頭ごなしにこういう層をばかにしたり、さげすんだりすることは決してありません。逆に、「自分たちに差をつける連中を見返すためにも、本人たちがもっと強い意識と意見を持たなければだめだ」と考えられたに違いありません。しかし、いきなりそんなことを八っつぁん熊さんはなかなか納得しません。江戸っ子には妙な気風があります。それは、「意地」です。意地っ張りで、宵越〈よいご〉しの銭を持たないような八っつぁん熊さんは、何か理屈をこねると、「うるせえや、てやんでえ(何を言ってるんだ)」と逆に着物の尻をまくります。ある意味で手がつけられません。そういう層を説得し、「自分の問題を、もう少し自分でも考えたらどうですか」という気にさせるためには、やはりこちら側が相当根気強く、時間をかけて、親切丁寧にその趣旨を説明する必要があります。そのために前回に、「こういう作業には、必ず恕の精神が必要だ」と書きました。恕の精神というのは何度も繰り返しになりますが、「相手の立場にたってものを考えるこちら側の優しさと思いやり」です。平洲先生はそれを実行しました。つまりご自身が「長屋の八っつぁん熊さんだったら、どう考えるだろうか」という相手の立場に立ってものを考え、その上で、「ではどうするか」と、今度は自分の立場が果たすべき役割をお考えになったのだと思います。妙な話ですが、世界各国におけるポピュリズムの勃興〈ぼっこう〉状況にぼくがすぐ思い当たったのは平洲先生のこの行動でした。そして、(日本にも江戸時代にすでにポピュリズムが存在した)という例証をいくつか考えつきました。
(次回につづく)
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