平洲塾133 藤樹スピリットで生きる福井俊一元町長(2) 入門する熊沢蕃山
中江藤樹の過去
御用飛躍と馬方のやりとりを見ていた一人の武士がいました。備前〈びぜん〉(岡山県)の池田家に仕える熊沢蕃山〈くまざわ・ばんざん〉という人です。主人の池田光政〈いけだ・みつまさ〉にその学識を評価され、重く用いられていましたが、この頃は少し行き詰まって、迷いはじめていたのです。光政に、「故郷に戻って、少し勉強し直してきます。しばらくお暇をください」と言って、故郷に戻るところでした。故郷は、琵琶湖畔のある小さな村です。お婆さんが一人で家を守っていました。そこへ帰る途中でした。蕃山は、考え込みました。それは、(馬方があれだけの立派な行為をするのは、おそらくだれかそういう教育をした人がいたに違いない。一体誰だろうか?)と思ったからです。宿の主人に尋ねました。
「あの馬方はどこの人だね?」
「ここからずっと奥へ行った安曇川〈あどがわ〉というところに住む馬方です」
「大変立派なことをしたが、だれかそういうことを教える人がいるのかね」
「います。中江藤樹先生という方です。今まで、伊予〈いよ〉(愛媛県)の大洲〈おおず〉の殿様に仕〈つか〉えておられましたが、急に思い立って故郷へ帰って来られたのです」
蕃山は急に関心を持ちました。そこで中江藤樹という人について詳しく話を聞かせてほしいと頼みました。宿の主人の話によると、
- 中江藤樹は、安曇川村の出身で、祖父がこの地域の領主大名加藤家の家臣であったこと。
- 加藤家が、米子〈よなご〉(鳥取県)に転封になると、祖父も米子へ移ったこと。その時に、孫の藤樹を伴ったこと。
- 加藤家は、やがて伊予の大洲にまた転封になったこと。祖父と藤樹も主人に従って大洲に行ったこと。
- 祖父は地域奉行を務めていたが、やがて亡くなって藤樹が後を継いだこと。しかし藤樹は学者だったので行政には向かず、城の武士たちに学問を教える役目を負ったこと。
- 藤樹が主に教えるのは「孝」をテーマにしたこと。
- 藤樹は、すでに父を失い、母が一人ぼっちで琵琶湖畔に住んでいたこと
- 藤樹はある時考えて、「自分が親不孝をしていながら、藩の武士に孝行を説くことなど良心に恥ずべきことだ」と反省したこと。
- そこで、藩の重役に「こういう次第ですから、私は故郷に戻って母に孝行を尽くしたいと思います。どうかお暇をください」と願い出たこと。
- しかし藩では、藤樹の学問が大切な時期だったので許可しなかったこと。
- 藤樹はやむを得ず脱藩し、京都で追手〈おって〉が来るのを待ったこと。
- しかし追手は来なかったので、藤樹は安曇川村に戻り塾を開いて地域の住民たちに人間の生き方を教えはじめたこと。
- 馬方又左衛門は、その藤樹の熱心な門人であったこと。
- したがって「所有者に忘れ物を返すのに、礼金など貰ういわれはない」というのは、おそらく藤樹の教えであって又左衛門はそれをきちんと守ったこと。
などを聞かされました。
他人の傷も自分の痛みとせよ
蕃山は心の中で唸〈うな〉りました。そして、(これこそ、自分が行き詰まった池田家の行政を考え直すきっかけになる)と思いました。そして、(そのことをもっと深めるためには、自分も藤樹先生の門人になって教えを受けよう)と考えたのです。
丁度冬の頃で、琵琶湖畔には冷たい雪が降っていました。しかし蕃山はその雪の中を人に訊〈き〉きながら藤樹書院に行き着きました。門から声を出して、自分の訪問の理由を告げました。しかし中からは返事がありません。蕃山はさらに何度も声を掛けました。やがて中から声がして、「わたしは中江だ。しかし人から師と呼ばれる立場にはない。お断りする」という返事です。蕃山はそんなことでくじけません。
「では、門人にしていただくまでここに座り込みます」といって、門の前に座禅を組みました。雪はどんどん降り積もります。こうなると、中の藤樹と外の蕃山との根競べになります。やがて見かねた藤樹の母親が何か囁〈ささや〉いたのでしょう、藤樹はついに折れて、「では、しばらく家にいなさい。おそらくわたしは何の教えも出来ないと思うが、気の済むまでお付き合いしましょう」と言ってくれました。以後蕃山は藤樹の弟子となり、これから岡山に戻って池田家で行なう政治や行政の根本的な考え方を学びました。藤樹の教えはただ一言、「人を愛すること、大事にすること」に尽きました。しかし蕃山はそれでも満足だったのです。藤樹の教えの底には、「自分の傷の痛さを知るのなら、他人の傷の痛さも自分の傷のように扱え」ということでした。もちろん傷というのは肉体的な損傷もありますが、藤樹はもっと角度を変えて“心の傷"を大切にしたのです。つまり、「恕の精神」です。 (つづく)
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