平洲塾128「金貸し商人に教えられる(1)」

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ページ番号1004572  更新日 2023年2月20日

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金貸し商人に教えられる(1)

金融機関に見放された上杉家

江戸時代の名改革者として有名な米沢藩主上杉治憲〈うえすぎ・はるのり〉(鷹山)が、藩政改革を開始したのは、明和4年(1767)のことです。徳川幕府が設立されたのは、慶長8年(1603)のことですから、すでに160余年経っています。この頃は徳川幕府も大名家もそれぞれ「財政問題」が、行政の大きな柱になっていました。無視するわけにはいきません。それも景気が良ければ良いのですが、ほとんど大名家は軒並み赤字に苦しんでいました。鷹山の治める米沢藩にしても、「藩収入の内、人件費が80パーセント以上占める」という異常な状態です。こんな財政構造では一般の行政費に回せるお金がほとんどありません。しかも残りのお金のほとんどを、「商人から借りた金への利子支払い」に回さざるを得ない状態でした。そのため江戸で取引のある金融業者からすべて見放されてしまいました。

「米沢藩に金を貸しても絶対に戻ってこない。また利子の支払いも滞りがちだ」という貸主の言葉がそのまま“風評〈ふうひょう〉"となって、他業者にも知れ亘〈わた〉ってしまいました。上杉家は完全に江戸の金融機関から見放されたのです。もちろん、今でいうメーンバンク(主な取引銀行)は、真先に金融を打ち止めにしました。こんな噂〈うわさ〉が立ちました。

「新しい金属製品には必ず金気〈かなけ〉がある。これがあるうちは、たとえば薬缶〈やかん〉で湯を沸かしても金気の匂〈にお〉いが出て来て美味〈うま〉くない。ところが、この新しい金属製品に、『米沢の上杉家』と書いた紙を貼りつけると、その金属製品からたちまち金気が消えてしまう」

実にバカにした話ですが、庶民らしい洒落〈しゃれ〉っ気です。ユーモアがあります。しかしそれほど上杉家は江戸の庶民たちにもバカにされていたのです。すっからかんにお金がなくってしまったためです。上杉鷹山が改革をはじめた時は、そういう状況でした。したがって平洲先生が藩主の鷹山を指導するといっても、単に、「藩主の生き方や部下の指導の仕方」などという抽象的なことだけではすみません。つまり理念や理想をいくら教え込んでも、実際の役には立たなかったからです。平洲先生もそのことはよく知っていました。だから、「財政再建のためには、こういう方法が必要です」と、具体的に赤字克服の技術論や、それを命ずる藩主としての心の持ち方などを主として叩き込みました。鷹山がはじめて米沢に入国した時に、平洲先生は、「はじめて米沢にお入りになるのには、勇気以外武器はありませんよ」と告げたのもそのためです。鷹山はその教えを守りました。

注目する本間家

米沢に入って鷹山がまず直面したのが、「多額の借金をどうするか」ということです。とりあえずは金融業者から借金するより手はありません。しかし残念ながら、江戸でメーンバンクになっていた金融業者たちは、すでに米沢藩を見限っています。新しい貸主を探さなければなりません。ちょうど、出羽国〈でわのくに〉(山形県)に酒田という海港都市があって、その酒田に本間〈ほんま〉という商人がいました。聞くところによれば、本間家は隣町〈となりまち〉の鶴岡に城を構えた酒井という大名の財政再建に大いに尽力したと言われていました。鷹山は米沢城の家老たちと相談し、「本間家に金融を頼もう」と決めました。だれが借りに行くかということになって、竹俣〈たけのまた〉という家老が手を挙げました。

「わしが行く」と胸を叩〈たた〉きました。竹俣はかつて米沢城内で勢力を持っていた森という悪臣を斬り殺して、江戸に追放された人物です。ですから、入国前の鷹山はこの竹俣をよく知っていました。

「気骨はあるが、少し誇りが高すぎる」と周りで噂されていた人物です。江戸から戻った竹俣は、(米沢でもう一度自分の存在を示す必要がある)と思っていましたから、まずこの金融面でも自分には力があるという事を示そうと考えたのです。他の家老たちは、顔を見合わせ、(誇り高い竹俣殿が、果たして本間家から金を借りられるかな)とちょっと心配しました。そんな雰囲気を振り切って、竹俣は馬に乗って米沢から酒田に赴〈おもむ〉いて行きました。

酒田に着いた竹俣は、本間家の門前で、「頼もう、頼もう」と大声を出しました。馬に乗ったままです。本間家から人が出て来て、「どちら様でございましょうか」と訊きます。竹俣は馬上から、「米沢城から参った竹俣という家老である。主人に是非話したいことがある」と告げました。出て来た人が、(随分威張った人だな)と感じましたが、米沢藩の家老だというので、主人に取り次ぎました。

(つづく)

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