平洲塾121「ポピュリズムのこと」
ポピュリズムのこと
八代将軍になった徳川吉宗が、和歌山藩主だったころから「目安箱」を設置したことは、前回に書きました。設置の目的はおそらく、「藩のトップとして知らなければいけない事柄を知らせてもらう」ということに主眼がおかれたでしょうが、もうひとつは、「投書者に、応分の不平不満を吐〈は〉き出すのではなく、その不平不満の中に含まれている公共性を発見する社会的責務を養う」というような意味もあったと思います。
イギリスでヨーロッパの経済連合から離脱するかどうかの国民投票がおこなわれました。あの時、少数の知識人が"ポピュリズム(大衆迎合主義)"について、議論を立てました。大衆迎合というのは、自分にキチッとした意見もなく、他人のいうことやマスコミの論調に影響され、すぐ「そうだ、そうだ」と共鳴してしまうことです。
昔、日本の女流作家が、「とにかくメダカは群れたがる」といいましたが、この言葉と同じです。やはり社会問題については、
- 自分で情報を集める。
- 自分で分析する。
- 自分で問題点を拾い出す。
- それについて自分で考える。
- 考えた解決方法の中から、自分でいいものを選び出す。
- 自分で実行する。
という、"自分"が主体となった行動をすることが大切です。ぼくはこの一連の行動ができる人を"公衆(パブリック)"と呼んでいます。そして公衆は大衆が努力して人間性を高めた存在だと思っています。
平洲先生の生涯は、江戸時代に自分の接する人びとの中にひそむ"大衆的要素"を、"公衆"的次元にアウフヘーベン(止揚〈しよう〉)しようという努力で貫かれたのではないでしょうか。ですから両国橋の辻講釈もおこなったのです。きき手のほとんどが、すぐ付和雷同する長屋の八っあん、熊さんでしたから。
これは大名家に対しても同じです。先生を招いた藩主は別にして、家臣の中の大部分は"武士社会の大衆"がいっぱいいたはずです。
- 先例尊重で新しいことはすべて「そんなことは先例にない」と突っぱねる保守主義者。
- 検討して考えをまとめる、という"先のばし"主義者。
- 甲のいうことももっともで、乙のいうことももっともだ、という八方美人主義者。
など、いまでいう「官僚主義者」はいつの時代にもいるのです。
これはなにも役所や会社などの組織だけにいるのではなく、家庭にもいます。
- ロクに口もきかずに、ただ家長の権威だけを示そうとする父親。
- 朝から晩まで口やかましく文句ばかりいい、自分をふりかえることなく、すべて先生や政治家のせいにする母親。
- そんな親をバカにして、いうことをきかない子ども。
など、一言でいえば"自分のことしか考えず、地球は自分のために回っている"としか思わないエゴイストは、すべて公衆ではありません。
公衆はもっとほかの人のことを考えます。家庭内でも家族のことを考えます。地域のことを考えます。平洲先生はそういうことを露骨に口に出してはいません。しかし、先生の言行をみていると、結局は、「大衆の公衆化」に力をつくしておられたような気がします。それも、「身近な場所で、そこにある物を活用して」。
紀州和歌山藩の江戸藩邸に出入りするようになってから、先生の詩や文章にはよく"庭"の話が出てきます。治貞〈はるさだ〉公(藩主)と連れ立っての散策ですが、
- 庭のよく手入れされた植物のこと。
- 手入れをする職人たちに、治貞公が気軽に声をかけられること。
- 逆に職人たちからの意見もきかれること。
などを丹念〈たんねん〉に詩に詠〈よ〉みこんだりされています。これはおそらく治貞が先生と心をあわせて、「自己改革のテキストは身近な所にもある」ということを示したのだと思います。
散策には藩の重役や近習〈きんじゅう〉(秘書)などがお供をしていたでしょうから、先生にすれば、
- あなた方がお仕〈つか〉えしている殿様にはこういう温かい面もあるのですよ。
- 職人と殿様とのやりとりをきかれて、政務の参考になることはありませんか。
- 職人たちの扱いについてパワハラ(権力でコキ使ったりバカにしてるようなこと)はありませんか。
などということをソフトにきいているのだ、と思います。庭の光景や植物の描写にしても「木や花にも生命があります。意志もあります。人をよろこばせようと努力しているのです。そういう木や花を虐待〈ぎゃくたい〉していませんか」と、先生は訊〈き〉いておられるのです。「自分以外の誰からも学ぶ」というその対象は、人間だけではなかったのです。
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