平洲塾130 竹俣と光丘の「あ・うん」の動機は鷹山 金貸し商人に教えられる(3)

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ページ番号1004570  更新日 2023年2月20日

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改革は民〈たみ〉のため

竹俣〈たけのまた〉の話を聞いて本間光丘〈ほんまみつおか〉はニッコリ笑いました。
「ご聡明なご家老様に、とんだ失礼を申し上げました。しかし、御家老様が上杉家の財政を立て直そうとご努力なさるお気持ちはよくわかります。どうか実務に明るい方をもう一度お寄越しください。どんなに身分が低かろうと、わたくしのほうは一向に構いません。上杉家のおこなおうとする計画さえ、きちんと説明してくだされば必ず御用立ていたします」と言いました。なんのわだかまりもありません。
竹俣家老は馬に乗って米沢に戻り、すぐ会計担当の武士を本間家に差し向けました。本間家に行った武士は、ソロバン勘定が達者で経済感覚が優れていたので、すぐ光丘と気が合いました。隠すところなく上杉家の計画を告げました。そしてこの武士は新しく来た殿様の鷹山が、「なによりも改革は城のためでなく、民〈たみ〉のためにおこなうのだとおっしゃっております。わたくしはそのご姿勢を非常に尊いものとして尊敬しております」と言いました。光丘は感動しました。その下級武士の言う、「改革は城のためではなく、民のためだ」という、新来〈しんらい〉の若い殿様の意気に胸を打たれたのです。契約は成立しました。光丘は喜んで米沢藩に融資をおこないました。
江戸へやって来た米沢藩の武士で、かねてから平洲先生の門人になっていた佐藤文四郎〈さとうぶんしろう〉という武士がいます。平洲先生にこの話をしました。そして、「先生のおかげです。ご薫陶〈くんとう〉が竹俣家老をそのように変えたのです」と言いました。平洲はにこにこ笑いながら佐藤の話を聞きましたが、佐藤が話し終わるとこう言いました。
「佐藤さん、わしが両国橋で話をしていたのも、御家老にそういう人物になってほしかったからですよ」
佐藤も平洲先生が両国橋のたもとに立って、庶民に講義をしていたことはよく知っています。そこで、平洲の言葉の意味がよくわかりました。平洲先生がこのとき言ったのは、今風に言えば、「竹俣家老は、完全に公の立場に立ってものを考える人物になっている」ということです。そしてさらに、「御家老は、自分をそのように改革されたのだ」ということです。同時にまたそのことは本間光丘にも当てはまります。光丘は商人ですが、決して私利私欲を増そうという立場から竹俣家老にクレームをつけたわけではありません。
「なんとかして江戸の金融機関が見放した米沢藩のお役に立ちたい」という気持ちが強かったからです。それは、新しく米沢藩主になった上杉鷹山のことを光丘がすでに噂〈うわさ〉として聞いていたからです。竹俣のあとから来た武士が、「改革は城のためではなく民のためにおこなうのだ」という話を聞いて、光丘は飛び上がるほど喜びを胸に湧かせました。
「そういう殿様がこの国にいたのか」と思ったからです。その意味では、本間光丘もすでに、「平洲の期待する商人像」の条件を立派に備えていたと思えます。

平洲先生の質問

光丘は、日本海の砂浜に深く長い松林をつくりました。もちろん、これは住民の参加によってその協力により実現したものですが、資金は全部光丘が出しました。光丘は江戸時代の立派な“公衆"でした。ボランティアでもありました。さらに、「地域に利益を還元する代表」でもあったのです。平洲は佐藤にこう言いました。
「相手がそんなに立派な商人では、竹俣様もさぞかし手を焼いたことでしょうな」
「そのとおりです。御家老は家老としての面目を失い、大いに恥をかいたと城で頭をかいておられました」
平洲先生は聞きました。
「それだけですか」
「なんのことですか」
「竹俣様は、そのことにこだわりを持って、表面はそう言われていても、胸の中ではむしゃくしゃして本間殿を憎むようなことはありませんでしたか」
「ありません。竹俣様はさっぱりしたご性格です。お酒はよくお飲みになりますが、決して口に出したことはお守りになります。ですから、本間殿へのこだわりもきれいに自分でご整理なさったと思います。そういうさっぱりしたご性格なので、家臣の間でも評判がよろしいのです。わたくしも竹俣様は大好きです」
そう言い切る佐藤の言葉に平洲先生は安心しました。平洲先生が知っているいわゆる大名家のエライ人たちには、表面では、「わかった、わしが悪かった」と言いますが、お腹の中はむしゃくしゃしていて、口に出した言葉とは正反対なことを考えている人が多いからです。平洲先生の知っている大名家の家老というのは、例えば竹俣のような立場に立ったときに、まず、「商人に侮辱された」と考えます。そしてこの話はどうせすぐ噂となって、各方面に流れるでしょうから、その屈辱感はいよいよ増大します。そう考えると、一旦胸に芽生えた本間光丘への憎しみはさらに高まっていきます。結局、「この恨〈うら〉みは、いつか晴らす」という気持ちになり、その恨みを晴らすということは、「別な機会に、自分の立場を利用して本間光丘に仕返しをしてやる」という気持ちに変わっていきます。 (つづく)

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